恵泉女学園大学

MENU
本学について

2007年2月

去る2月3日には、恵泉女学園大学「キリスト教文化研究所」の開所式が行われました。開会礼拝に引き続き本学の元学長・荒井献名誉教授による記念講演「ユダの福音書-原始キリスト教におけるその位置づけ」が行われ、聴講者一同は大きな感銘を与えられました。
当日は、恵泉関係者、学会・教会・地元の大学や多摩市民の方々など約140名の来会者があり講演会場は人々があふれ出てしまうほどの大盛況でした。
御多用の中、おでかけくださいました皆様に心から御礼申し上げます。
今月の学長だよりとして、その開会礼拝での私のメッセージを以下にお伝えしたいと思います。

「汝の光を輝かせ」

「汝の光を輝かせ」という聖書の御言葉は恵泉女学園創設者であられる河井道先生の愛誦の聖句として良く知られています。
この聖句は、恵泉女学園60周年記念アルバムのタイトルにもなっていますし、この聖句についてしばしば、河井先生が語られたと、そのアルバムの序文には記されてあります。
私は、まだ十代の頃に、富士見町教会で河井先生のお話を、何回かお伺いして、大きな影響を受けました。或日の礼拝の中でしたが、特別なすすめを、講壇からではなく会衆席の前に出てなさいました。私達のいのちがキリストに出会うことによって、身も心も魂も、生き方も根本的に変えられるのです、というお話をされました。そのお話をされた時の河井先生の全体的なお姿がまさに光り輝いておられた様子であったことがいまもまざまざと思い浮かんで参ります。
河井先生は一体どのようなコンテキストでこの聖句を引用したのでしょうか。
これは、一つの例ですが、「恵泉」誌「巻頭言」の1936年7月8日号には「私どもはこのような俗悪危険極まる世にありて、光のこどものごとく輝けとの命令を受けています」と書いておられます。
続けて、河井先生は、この巻頭言で非常に具体的な指摘をしておられます。それは、私どもは「神なき人よりは早く覚醒し、身支度をなし、祈祷をもって霊肉的の掃除役を人の見ぬところにても勇んで力限りに努むべきであり、弱者に対してはどこまでも忍耐と愛との奉仕をささげねばなりません」と述べておられるのです。
神の光を輝かす光の子となるために神なき人よりは、早く起きよ、そして身支度をせよというのはなかなかユニークなすすめだと思います。更に、光の子として輝くために、祈りをもって、霊とからだの掃除役となる、つまり人の見ていないところで取りなしの祈りとそのために仕事をするというのも、まさにキリスト者としてのライフスタイルを明快にご指摘なされたのだと思います。
この聖句は、もちろんただ今お読み頂きましたようにマタイによる福音書にある、譬え話の物語に由来します。
ここの16節だけを、そのまま読みますと、まるで「自分の光」を輝かすというように読めなくもありません。しかし、それは、聖書の全体のメッセージにおいて、はっきりしていますように、イエス・キリストによって罪を赦され、光の子となったものとして、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」と言っているのであると理解するのが当然であります。
いうまでもなく、灯し火はそのままでは、どんなことがあっても光りを輝かすことはできません。誰かが火をともすことによって明かりがともり、光り輝くことが出来るのであります。
私たちのいのちの灯し火は、神によって光をともされたからこそ、光ることが出来、その神の光を人々の前に輝かすことが赦されるのです。
自らは、他者の前に光をともすことの出来ない者としての存在であることの認識が、この譬え話のメッセージの背後にある教えなのではないでしょうか。
続けて「人々があなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」。と聖書は語っています。
しかし、本当に立派な行いが、私たちに出来るかどうかも分かりませんし、そもそも善行に励んで世の中で褒め称えられるようになりなさいという意味ではありません。ここでは、神の光に照らされた内的ないのちの喜びとその現れが、言葉と行いによって「光」を証しすることになるのだという神への信仰が語られているのです。このことによって「天の父があがめられるようになるため」と聖書は語っているのです。
さて、今から、70年前に河井先生が「恵泉」誌で指摘された1930年代の「俗悪危険極まる世」であった日本は、どうなったのでしょうか。その後、アジア近隣諸国に大きな戦争の被害を与え、またこの無謀な戦争により日本国民にも惨害をもたらし、敗戦に至り、復興と発展を成し遂げた日本の現在は、その限度を超えて、益々「危険極まる世」になりつつあるといえます。今年になってから「防衛省」が設置され、いよいよ軍事大国への道を経て平和憲法改正へと進みそうな勢いです。
第二次世界大戦後の敗戦の中で、河井先生がたった一人の女性の文部省教育刷新委員会・第一特別委員会委員として、その制定に参画した「教育基本法」が改正されるという戦後日本の大きな教育理念の変更も、現在のこの憲法改正への動向と関連していることは明らかです。その教育基本法の改正に反対して、本学教職員及び名誉教授有志一同は署名活動や国会での記者会見と議員への請願を行うなど積極的に行動しました。
真に残念ながら改正法案は通過してしまいましたが、個人の尊厳や心の内面への干渉を法律で規定するという問題性の追求は他大学の志を同じくする方々とともに、諦めること無くさまざまな形で継続されつつあります。
恵泉女学園大学は、河井先生の理想に沿ってキリスト教、国際平和、園芸を柱とする独創的な教育理念をかかげ、すでに、「平和文化研究所」、「園芸文化研究所」を発足させ、研究助成を行い、研究活動や社会人を対象とした公開講座も開催して来ました。
そして、本日ここに、それらの研究所とダイナミックに連携させることを意図し、イソンジョン(李省展)先生を所長として「キリスト教文化研究所」が開設されることになったのは、まさに、この新しい本学の研究所が「この世の光」としての使命を果たすべき責任を正面から受け止めて行くことを、神と人々の前に誓ったからなのであります。なお、この開所式に引き続きまして、本学の元学長の荒井献名誉教授が開所記念講演をお引き受けくださいましたことは私たち一同にとって、大きな喜びであり感謝にたえないところであります。
今現在、戦争や平和をめぐる危機的状況の中で、キリスト教を含めての様々な宗教と文化の多元的で複雑な世界・アジア・日本社会の問題に取り組むべく具体的な研究・教育プロジェクトも本研究所では計画されています。たとえば、聖書や原始キリスト教の歴史、宗教音楽、美術、文学、歴史学、言語、カルトなどの社会問題や宗教社会学、キリスト教とフェミニズム及び女性観、特定の病気や人間のいのちの差別、先端科学・工学技術の倫理、バイオエシックス、キャンパス・ミニストリー等をめぐっても新しい研究の課題と展望がなされつつあります。
「人々の前に汝の光を輝かせ」という聖書のメッセージは、言葉と行動とをもって輝くものとなれということを意味します。
その内容の本質は、神の光、即ち神の真理と愛とを輝かすということです。 神の光に照らされることよって一人一人の人間や物事の本当の姿が明らかにされます。
その本当の姿とは、神の愛の炎によって暗く冷酷な世界が明るく暖かくされ、いのちが神の御導きによって伸び伸びと豊かに育ち行く喜びを共有することなのです。
戦火をおさめ、世界に平和がもたらされ国籍、人種、言語、民族、宗教、性別、年令を超えて、人々の楽しく美しい交流のハーモニーが響き合い、平和のうちに信頼しあえる友情の輪が世界の各地で広がり行くような時代をつくり出すのは私たちなのです。
私たちは、この16節の最後に述べられているように、「あなたがたの天の父をあがめるようになるため」に、常に祈りつつ、正しい歴史認識と展望にたって、希望の光に満ちた未来へと大胆に歩み行くものとなろうではありませんか。

開会礼拝メッセージ 「汝の光を輝かせ」 木村利人
開会礼拝メッセージ
「汝の光を輝かせ」 木村利人