恵泉女学園大学

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本学について

2007年10月

私たちが憲法を作る-ベアテさんが夢見た男女平等-

先週の土曜日(10月13日)には、「平和をめざす女性の大学」である私たちの恵泉女学園大学にとって大変に相応しいベアテ・シロタ・ゴードンさんをニューヨークからお迎えして「ベアテさんが夢見た男女平等」をテーマに特別講演会が開催されました。
上村英明教授(恵泉女学園大学平和文化研究所・所長)の司会により講演会は午前10時過ぎにはじまり、ベアテさんを御迎えした恵泉女学園大学・多摩キャンパスJ-202教室では、満席の参加者による熱心な歓迎の拍手が大きく響きわたりました。
84歳の御誕生日を10月25日に迎えられるベアテさんは、とても御元気で、流暢な日本語によるユーモアにあふれたお話しぶりで教室はしばしば、笑いでどよめきました。ベアテさんは、ウイーンで天才ピアニストを父として生まれ、御両親ともども来日された時は5歳でした。その後、15歳まで10年間を日本で暮らし、単身で訪米してミルズ・カレッジに学ばれて最優秀でご卒業されました。
このミルズ・カレッジからは、日米開戦の少し前に、私たちの恵泉女学園の創設者である河井道先生が「人文学・名誉博士」の称号を授与されておられます。日米両国の平和を願い、日本で最初に「国際」の科目を取り入れて平和のための授業をされたおられた河井先生の教育者としての理想と、その実践が高く評価されたのです。このことを知らされてベアテさんはとても驚き、喜んでおられました。
戦後GHQのスタッフとして来日したベアテさんは、御両親との再会を果たされました。お母さまは、ベアテさんがアメリカで学んでいる間に戦争になり、連絡も途絶えていた間の毎年の「クリスマス・プレゼント」を大事にとっておいてあって、お母様の深い愛情を感じとても嬉しかったとのことでした。
GHQでの憲法草案作成の一部、特にベアテさんの提案による条項をめぐって、男性の同僚や日本側代表との火花の散るようなやりとりがあったことを、私たちは知らされました。
世界諸国の憲法を参照したりして、草案作成にあたったベアテさんが夢見た男女平等は、アメリカにおいてすらも十分ではないことを帰米後に体験されたたとのことでした。しかし、ベアテさんは6ヶ語の能力を駆使して、他人には出来ない仕事をこなし、アジア・ソサエティなどでパフォマンス部長などとして大活躍され、子育てと職業を両立されたのでした。
ベアテさんによると、この日本における個人の尊厳と男女の本質的平等、戦争の放棄をかかげた「平和憲法」は、一般の日本国民によって大きな喜びを持って迎えられたが、当時の日本政府や保守的な指導者層には大きな不満があったということです。その保守的な動向は、もちろん現在もありますので私たちは、気を緩めてはならないのです。
本学園の創設者であった河井道先生をはじめ、基本的人権のために、教育者として、社会運動家として活動してきた多くの戦前、戦中、戦後の日本の先達による努力の蓄積、そして60年に及ぶ「平和憲法」の中身を充実させるための様々な人権運動の実践と闘いが、この憲法を私たち自身のものとしてきたのだと思います。そして、これからも未来に向けて私たち自身が憲法の内容を、作りあげていく責任があるのです。
戦後直ぐに、教育基本法(昨年改正されました)作成のための教育刷新委員会・第一特別委員会委員であった河井道先生は、「やはり、新憲法と読みあわせまして、初めに私は平和ということを出していただきたいと思います」と発言されておられます。
ベアテさんの講演をお伺いしながら、「平和」「女性」「人権」「ミルズ・カレッジ」そして「河井道先生」のことなどに思いを巡らせました。
ベアテさんの女性としてのダイナミックな生き方とその貴重な歴史的証言により、平和をめざす女性の大学としての恵泉女学園大学とその学生たちにとって、明るい未来と大きな希望が示されたのでした。

特別講演会 「ベアテさんが夢見た男女平等」
特別講演会
「ベアテさんが夢見た男女平等」