恵泉女学園大学

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本学について

2007年12月

「いと高きところには栄光、神にあれ」

2007年12月8日に、世田谷キャンパスで恵泉女学園同窓会のクリスマス礼拝と祝会が行われました。
私は、日本が、平和のうちにあってクリスマスを迎えることのできることを神に感謝し、66年前のこの日をめぐっての想いを一言述べました。
本学園の創立者・河井道先生は、1941年の12月8日の開戦当日に、生徒たちの前で、今日は人生の最も悲しい日となったと言われたそうです。教室では、ハワイからの留学生たちが泣き悲しんで、クラス全員が静まりかえったとのことでした。それから敗戦に至るまで、恵泉では大変な苦しみが続いたのでした。
ある先生が戦時中の恵泉での祈祷会で「正しきに勝ちを与えたまえ」とお祈りをしたところ「なぜ日本に勝ちを」ではないのかと蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、河井先生は「祈祷会は、静かにまもるものです。騒ぐ人は来ないでよろしい」とだけ語られたとのことでした。この卒業生は、「河井先生はじめ、恵泉の先生方は神以外の誰をもおそれず働く行動の人たちだった」と語られておられます。
河井先生が、「太平洋で戦争が勃発したのが12月であるためか、平和の君が生まれられた季節が今月でなければよいと思える・・・・何百年かかるか分からないがついには主により世界平和が来るとの約束を思い、今年もこの非常時につつしんで天使の歌を心より歌おうではないか」と「恵泉」誌の巻頭言(1941年12月)に書かれたことよって先生は、憲兵隊、警察署、文部省にそれぞれ召喚され、この号のすべてが没収されました。
私は小学生でしたが、米英との開戦のニュースを聞き、ハワイへの奇襲攻撃の成果を知って、思わず「万歳」と叫んだ時に、アメリカに学んだ医師の伯父が言いました。「ああ、アメリカを相手にこんな無謀な戦争を始めるなんて、何と言うことだ。日本は必ず負けるよ」と。子どもながらに大きなショックを受けました。
敗戦後、山寺への集団疎開から帰京した私は、しばらく教会に通ったあと、1950年のクリスマスに、河井道先生が長老をしておられた富士見町教会で洗礼を受けました。その頃、教会では河井先生のお話しを直接お伺いする機会もありました。
私たちの、恵泉女学園大学は、これからも神以外の誰をもおそれずに、河井先生によって建てられた学園創立の理念を尊び、平和を目指す女性の大学としての神への応答と、人々への愛を実践しつつ着実に歩んでいきたいと心から願っております。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカによる福音書 第2章14節)

大学のクリスマスツリー点灯式
大学のクリスマスツリー点灯式