皆さん、ご卒業おめでとうございます。
保護者のかたがたにも、心からお祝いのお言葉を申し上げます。今日は、美しいオルガンの調べに包まれて、このチャペルにおいて礼拝形式で卒業式を持てますことを心から神に感謝したいと思います。
皆さん方は、この大学での真剣に学んだ年月、恵泉にしかないユニークで豊かな大学生活の喜びや、時にその辛さも体験したことでしょう。
今、その学びの年月を終えることになりましたが、皆さん方が、この恵泉で学んだことは本当に「幸せ」なことだったと思います。それは、卒業してからの人生でこれからますます明らかになっていくと確信しています。
今日は、卒業される皆さん方への餞の言葉として、私のとっておきのお話をしましょう。
実は、大分前のことですが、私が学生時代に作った歌があります。皆さん方も、歌ったことがあったりして多分良く知っている「幸せなら手をたたこう」という歌の作詞者は私なのです。
これは、「幸せ」の歌なのですが、私たちが再び武器をとって戦わないことを誓い、「平和」な世界を作り出そうという聖書のメッセージが入っているのです。
この原曲は古くからあるスペイン民謡曲なのですが、私が50年も前の早稲田大学の学生時代に参加したフィリピンでのYMCAワークキャンプで、地元の小学校こどもたちが民謡として歌っていた曲を採譜して、このワークキャンプでの戦争と平和の体験に基づいて曲につけて作詞したのがこの歌詞なのです。
当時、戦争が終わって、まだ10数年しかたっていない頃で、悲惨な戦争の跡を目あたりにし、キャンパーたちのご両親や親族のかたがたが犠牲になられたという悲しみにも直接にふれ、私たち日本の若い世代の参加者一同は大きなショックを受けました。しかし、一緒に汗を流しジャングルを切り拓く仕事をし、聖書を読み、祈りをしていく中で、フィリピンの友人たちは、タガログ語で「タイヨ・アイマカイビガン・カイ・クリスト」と語ってくれたのでした。
「私たちはキリストにあって、ともだちなのだ」と言う意味で、今でもその響きが耳に響いてくるのです。戦争の苦しみや悲しみ、日本人が目の前に現れたら、殺してやりたいとまで思い詰めていた日本と日本人への憎しみを越えて、キリストの愛による平和な世界を作ろうとフィリピンの仲間たちは私たちに語ってくれたのでした。
その時読んだ、英文聖書の箇所が、旧約聖書の詩編47の「みんなで手をたたこう。神に向かって喜びの声をあげ歌おう」でした。そして、フィリピンの友人たちは、涙ながらの祈りを終えてから、本当に「態度に示して」私たちに本当に親切にしてくれました。
神によって生かされている平和の「幸せ」を「態度に示して」生きていくようにと、私たちは神によって召されていることをフィリピンの友人たちから教えられ、その感謝と感激の体験を帰国途次の船の中で作詞したのです。
先ほど、お読みしていただいたように、聖書は、私たちに「光の子として歩みなさい」(エフェソの信徒への手紙5章8節)と語りかけます。この「光の子として歩みなさい」ということの具体的内容として、この聖書の同じ箇所が「リビング・バイブル」(いのちのことば社、1975年刊)では「そのことを態度で示しなさい」と訳されていることに、是非注目して下さい。
もしかすると、私の「幸せなら手をたたこう」が1950年代後半から大ヒットしたので、その歌詞のキーワードである「態度に示そうよ」がこのように1975年に刊行された聖書の日本語訳にも影響を与えたのではないかと思っています。「手をたたこう」は、旧約聖書から得たヒントですし、「態度に示そう」は新約聖書の訳文に取り入れられてしまったので、この「幸せなら手をたたこう」の歌詞は聖書のメッセージで成り立っているということになってしまいました。
さて、私たちは神により一つとされ、平和に生きる喜びこそが「幸せ」の根拠であり、それを「態度に示す」というライフスタイルをとるようにと、聖書は私たちに告げているのです。
卒業生の皆さん、光そのものである神を見つめつつ、神の輝きによってのみ輝くことの出来る「光の子」として「態度に示し」つつ、一回限りの人生をともに聖書の光に照らされて歩んで行って下さい。
本恵泉女学園創設者の河井先生がよく語られておられたように私たちのユニークな個性の光を輝かせ、恵泉で学んだ「幸せ」を、これからの人生において態度に示し、聖書に示された神に向かって歩んで行って下さい。
卒業生の皆さん、そして保証人、教職員、ここにおられる全ての皆さんの上に神様の豊かなお恵みと御祝福の光がありますようにと心からお祈りいたします。みなさん、ご卒業おめでとう!