人生には様々な出会いがあります。
私は、山がとても好きでしたので、少年時代に中学の山岳部に入りました。それが実はクリスチャンになるきっかけとなりました。「わたしは山に向かって目をあげる。わが助けはどこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る」とテントの前で声をあげて聖書を読み祈っている先輩と出会ったからなのです。
その影響を受けて教会に出かけて、聖書を学ぶことを通して、自然を超えた天地の支配者としての神の実在を、信じて生きるか、それとも否定して生きるかの決断を迫られ、自分で決断して、高校生の時のクリスマスに富士見町教会で洗礼を受けたのでした。洗礼を受けてクリスチャンになったからこそ、その後の人生の歩みの中での悲しみ、苦しみ、不安、失敗、を乗り越え、主にある大きな喜びの中で生きることができたのだと信じています。その教会には、本学園創立者の河井道先生がおられ、直接にお話をお伺いする出会いの機会がありました。「路の光」という教会の週報に、折にふれて河井先生のお話が掲載されていて大きな影響を受けました。
その後、私がタイの大学で教えていた時に、恵泉出身のクリスチャンと出会って、ともに神様を目指して歩んで行こうと誓い合い新しい人生の旅路が始まりました。自分たちの目の前に現れてくる人生の様々な山の頂を目指して、天気の日も、嵐の日も、雪が降ったり、雨が降ったりした人生の日々を、主にあって着実に一歩一歩登りつづけることができたのは大きな幸せでした。
私が、洗礼を受けた頃に愛読していた「一日一生」という本があります。内村鑑三という日本の思想史上で大変に重要なクリスチャンなので、もちろん名前を知っている方がおられるでしょう。その本のなかで、内村鑑三は「キリスト信者は助けを天に仰ぐ。地に求めない。そのすべての希望は神につながる。人にかかわらない。ゆえにそのならいとして、上を見て,下を見ない。人はもともと上を見る動物である。そのからだの構造が、上を見るようにできている。昔のギリシャ人が人をアントロポスと呼んだのはその故であるという。そして人が人たるの価値を自覚するに至る時に、人は目を下に向けることを止めて、上に向けるようになる」と述べています。
アンスロポス、つまり人間というギリシャ語は上を見るという言葉に由来するのです。
今、英語でAnthropology という言葉がありますが、これはこのギリシャ語に由来する学問的な用語で、「人間学」また「人類学」を意味するのです。
さて、みなさん、たった一回だけの限られた時間の人生を、天を仰いで神の永遠につらなる出会いをしてみませんか。
その喜びの出会いを体験することによって恵泉のキャンパスライフをともに過ごそうではありませんか。