一体どんな人たちが集まれば、こんなこと、考え出せるのでしょう。圧倒されながら、これが人間の技であることにまっすぐ打ちのめされ、ほとんどそのまま固まってしまいました。デカンの焦げる熱風を浴び、この地に初めて立った日の自分を昨日のことのように思い出しています。もう20年以上もの時が経ちました。 外から資材を運びこみ、積み上げていく「たし算」の建物は世界中に珍しくはありません。エローラ石窟はその真逆をいきます。この地の頑強な岩山一つをまるごと掘り下げ、削り取り、「ひき算」に徹したこれは紛れもない<彫刻>です。とりわけ、第16窟カイラーサナータの激しくふきあげる表出を前にする時、人は決まって言葉も失ってしまいます。建物という相場にも、またその原理にもおさまることなく、このままで宇宙を動かす神への捧げものとして、これは人が100年もかけてプロデュースした「空間」だというのですから。
8世紀ごろの製作といわれています。あらかじめ設計図などあったのかしらという不思議も湧いてきます。いや、そのようなものは始めからなかったのではないでしょうか。それでも、岩のなかには眠っていた確かな「いのち」があったように思えます。ただ、誰もがそれを取り出せるわけではありません。ノミをもつ石工たちが削り取った岩山に「かたち」が出来たとすれば、それはこの製作に立ち会えた人間の無心と信仰的情念のたまものではなかったのでしょうか。人の熱い「いのち」が岩の同じ「いのち」に響き伝わった時、頑強なかたまりが動き始め、「かたち」がこの世に自ずと定まった、と信じたいのです。
インド彫刻の伝統は、この国の人々の審美眼にまで今も深く影響を与えています。
杉山圭以子(インド史)