ホロコーストの象徴であるアウシュビッツ強制収容(1940~45)は1979年に「負の世界遺産」に指定されました。負の遺産とは後世にこの悲惨さを忘れずに伝えるためのものです。ナチス・ドイツは当時の世界に1800万人いたユダヤ人の3分の1に当たる600万人のユダヤ人を虐殺しました。悪魔にも天使にもなれるのが人間だそうですが、これは悪魔の仕業としか言いようがありません。
さて皆さんは、杉原千畝という人を知っていますか?ポーランドから逃げてきたユダヤ人たちに、唯一の脱出ルートである日本通過ビザを独断で発行したリトアニアの領事代理です。杉原に命のビザをもらったユダヤ人はシベリア鉄道に乗り、ウラジオストックに着き、船で福井県の敦賀港に来て、多くは神戸港から世界中に逃げのびました。神戸の街に着いたユダヤ人の描写が妹尾河童の『少年H』に出てきます。日本の味方ドイツの敵に当たるユダヤ人を助けた罪で杉原は戦後に外務省をやめさせられました、そして日本が誇るべきこの歴史的事実はずっと埋もれていたのです。
杉原千畝はなぜこのような勇気を持てたのでしょう、日本の外務省に逆らった行動をとることは外交官としては余りにも無謀です。目の前にいるユダヤ人にビザを出すか出すまいか迷う杉原に妻幸子さんは「あなたが助けなければ誰が助けるの?外務省を首になったっていいじゃありませんか、あなたは語学もできるし私たち家族は何とでもなりますよ」と言ったそうです。妻の言葉に勇気をもらった杉原は、躊躇なくビザ発行の決断をしました、羨ましい夫婦ですね。アウシュビッツの悲惨さと杉原千畝のビザ、文化学科でさらに深い学びをしましょう。
岩村太郎(哲学)