共和国の夢と悪夢‐シャーロッツヴィルのモンティチェロとヴァージニア大学

2012年08月27日

「独立宣言は、アメリカ人の精神を表明することを目的とした」と語ったトマス・ジェファソンは同僚たちと共有した平等観、政治的・経済的自由への思いを独立宣言(1776年)に凝縮した。イギリス植民地人がアメリカ大陸で共有出来た格差のなさの象徴であった。しかしそれを可能にしたのは、植民地経済を支えていた奴隷制であった。300万人の新しい独立国が、危うい基盤に立っていた事実は、ジェファソンみずからが設計したヴァージニア州の私邸モンティチェロ(世界遺産、イタリア語で「小さな山」)を俯瞰すると見えてくる。

丘の頂上に立つ白いドームとレンガ造りの建物は、フランス大使時代に出会い憧れたローマ古典様式で建てられている。同時代のヨーロッパの王宮に比べて、ジョージ・ワシントン初代大統領の私邸もそうであったように、きわめて質素である。しかし、ジェファソンのそれはヨーロッパで見聞きした知識の粋を混合・融合・調和させたアメリカを象徴する記念碑であった。テラスに立つと遠く見渡せるのは、ヴァージニアの山々。見下すと、園芸家でもあったジェファソンがヨーロッパ野菜を根付かせようとした実験農園が広がり、手前にマルベリー・ロウと呼ばれた奴隷居住区が見える。ジェファソンは200人の奴隷を抱えるタバコ農園主であった。奴隷サリーとの間に子をもうけたといわれている。自身は解放奴隷をアフリカへ送り返すことを最善策と考えていた。しかし、第三代大統領時代に、ナポレオンから購入した (1803年)フランス領ルイジアナの広大な地こそアメリカの西進と奴隷制拡大を生んだ。奴隷制を抱える共和国の未来を思うと、「深夜の半鐘のように」恐怖で目が覚めたと記したが、休んだそのベッドは右に降りると書斎、左に降りると寝室と機能的で無駄がない。(図) 置かれた調度品もジェファソンの発明品で、建築家、工芸家、博物学者でもあった彼の工夫を至る所に見ることが出来る。

共和国の未来は市民教育にかかっていると、教育理念を実現する総合大学を建て初代総長にもなった。モンティチェロが見下ろす町、シャーロッツヴィルにあるヴァージニア大学である。ジェファソンがパンテオンを見本に設計した図書館や建物群が残る(世界遺産)。教会ではなく図書館を中心に建てたことこそ、政教分離の原則を打ち立てたジェファソンらしい。その墓碑銘を「独立宣言の起草者」、「ヴァージニア信教自由法案の起草者」とともに「ヴァージニア大学の父」とするようにとジェファソンは言い残して死んだ。奴隷解放は南北戦争を経てエイブラハム・リンカーンの奴隷解放宣言(1863年)まで待たねばならなかった。

杉山恵子(アメリカ史)