1776年7月4日、イギリス植民地であった13邦(のちに州)の代表が集り、トマス・ジェファソンが起草したアメリカ独立宣言に署名した場所(もとはペンシルバニア州の議事堂)。「全ての人は生まれながらに平等であり、生命、自由、幸福を追求する権利を与えられていることを自明の真理であると信ずる」と謳い、イギリス国王ジョージ3世の専制的な植民地支配を非難した。ヨーロッパに向けて発せられた強い声明文は外にオランダやフランスの支援を仰ぎ、内では独立運動を一気に加速させた。さらに、1787年には憲法制定会議もここで開催され、世界最古の近代的成文憲法である現行アメリカ合衆国憲法が生まれた。アメリカ議会の上院、下院の名は、フィラデルフィアが首都であった1790-1800年、元老院を2階、代議院を1階で開催したことに由来する。
当時ペンシルバニアの州都であったフィラデルフィアは18世紀を通じて、北米最大の都市だった。独立を知らせた鐘、「自由の鐘」はひびがはいったため、鐘楼から下され別棟に展示されている。
独立の気運を伝えるこの地は日本人にもなじみが深い。まずは万延元年(1860年)徳川幕府の送り出した遣米使節団一行だろう。日米修好通商条約批准文書交換でワシントンを訪れた帰り立ち寄った。侍のパレードを見に30万人が沿道に集まった。下って1872年6月、明治政府の「岩倉具視使節団」も4日間滞在した。その間の記録は『米欧回覧実記』に残る。「いまでは堂々たる合衆国憲法のもとに、3億7000万ドルの歳入を持ち、世界に隆盛を記しているが、その起源はこの議事堂に愛国者たちが集り、苦心を重ねながら自主の権利を勝ち得たのである。その時の状況はどのようであったろうと想像してみた」と。新渡戸稲造、津田梅子、野口英世らもこの地に足跡を残す。恵泉女学園の創立者河井道もこの地で学んだ。
活気あるこの町の発端はクエーカー教徒のウィリアム・ペンの植民地であったことだ。その中心地の名もフィラデルフィア、(フィロス=愛、アデルフォス=兄弟)兄弟愛の町である。南北に並んだ13の植民地の中ほどに位置し、マサチューセッツのような強い宗教色はなく、自由な気風が生まれた。そしてこの地が生んだ巨人が、独立宣言にも、憲法成立にも深くかかわったベンジャミン・フランクリンである。資本主義的精神の成功者として象徴的な人物とされる。しかし、切磋琢磨し自己研鑽するフランクリン像はアメリカの夢を体現した人物として、額に汗して勤勉に働く階層が後年造り上げ、英雄にしたのだと最近の伝記は説く(ゴードン・S・ウッド『ベンジャミン・フランクリン、アメリカ人になる』2010)。
独立当時の様子が再現された独立記念館の議事堂にインク壷(レプリカ)がある。署名者たちが使ったこのインク壷は当時のものとして唯一現存する(本物は展示室のケースの中)。 それはラテンアメリカの銀が遠くヨーロッパを経由して北アメリカへと届いたもの。アイルランド移民の職人によって精緻に作られたという。産声を上げた小さな独立国が人も物もいかにグローバルに移動する世界に囲まれていたかを知らせている。
杉山恵子 アメリカ史