テオティワカンはメキシコ中央高原に出現した、アメリカ大陸最大規模の古代都市遺跡である。その起源は前2世紀中頃と考えられており、最盛期の紀元5世紀頃には15万~20万人の人口を擁し、その文化的社会的影響ははるかマヤ地域にまで及んだとされる。しかし1884年から開始され現在なお進行中の遺跡発掘調査も、目下のところこの壮大な遺跡のわずか8分の1程度にすぎず、これほどの都市を築きながら王の墓も文字記録も見つかっておらず、この壮大な都市を築いた民族の詳細や、また7世紀後半頃から急速に衰退したその理由など、未だ多くが謎に包まれている。
この古代都市は整然とした都市デザインを有している。まず最北端には「月のピラミッド」と呼ばれる巨大モニュメントがある。そこから南方向に向かって幅40m長さ5㎞ほどの「死者の大通り」が延び、その途中の東側には「太陽のピラミッド」、西側には宮殿、そしてその最南端には「ケツァルコアトルの神殿」を含む「シウダデーラ(城塞)」と呼ばれる儀礼場区域があり、その他、往時には大小合わせれば約600基ものピラミッドが整然と立ち並んでいたと考えられている。
「月のピラミッド」は、一辺が150m、高さ47mの巨大ピラミッド型建築物である。それは「太陽のピラミッド」よりも起源が古く、およそ紀元前100年頃に建築が開始された。月のピラミッドを正面から見ると、その背後には「セルロ・ゴルド」という大きな山がそびえ立っている。月のピラミッドは、この山のミニチュアである。メソアメリカには古くから「聖なる山」への信仰がある。天へとそびえる山の内部には、大地と水と豊穣の神であるトラロクが治める楽園「トラロカン」があると考えられており、現代でも周辺の農民たちは、近くの山の洞窟や泉で豊穣を祈る儀礼を、毎年行っている。月のピラミッドの内部からはたくさんの奉納物が発見されているが、それは豊穣の力を秘めた「聖なる山」への信仰を意味している。
テオティワカンのもう一つの「聖なる山」である「太陽のピラミッド」は、一辺が225m、高さ65mのテオティワカン最大の建築物である。その完成は、およそ紀元150年頃とされている。興味深いことにこのピラミッドの真下には、長い地下洞窟が延びており、その先には「四つの花びら」の形をした小空間が存在する。テオティワカンでは「四つの花びら」は、東西南北からなる世界の姿を表現する重要な宗教的象徴である。一説ではこの洞窟こそが、聖地としてのテオティワカンの始まりの場所であったという。人々は古くからここを巡礼に訪れ、「トラロカン」の神々に祈りを捧げたのであろう。
二つのピラミッドが「聖なる山」であるということは、それらは天空への階段、天空世界と地上世界がつながる場所であることを意味している。テオティワカンの南北軸である「死者の大通り」は時計方向に15度30分ほど意図的にずらして建設されており、、都市の東西軸も同じだけ傾いていて、格子状に道路が配された都市全体が15度30分傾いている。なぜこうした軸の傾きをしているのだろうか。一説では、メソアメリカの神話でこの世界が始まったとされる8月12日とそこから約260日後の4月29日に太陽のピラミッドの真向かいに太陽が沈むように設計されたと言われている。つまり都市デザインは、メソアメリカの宇宙論の根幹をなす「260日祭祀暦」(1年を260日とするメソアメリカ独自の暦)に対応しているのである。
テオティワカンは聖なる地下世界への入り口であり、また地上世界と天空世界をつなぐ階段である。天空世界と地下世界の力が交わる場所、それがテオティワカンだった。
14世紀にこの遺跡をはじめに発見したアステカ族(メシーカ人)は、そこを「神々の集う場所(=テオティワカン)」と名づけた。
笹尾典代(宗教学・ラテンアメリカ宗教文化)