WBC 決勝戦のクライマックス、イチローの打球はセンターへと抜けていく。記憶に残る一打だった。日韓は野球のみならずサッカー、スケートなどでもよきライバルである。しかし、そもそもアメリカの野球が、どのようにして東アジアに伝えられたのであろうか?「日本野球の祖」といわれる平岡煕は、1877 年、新橋倶楽部を結成、駒場農学校との試合が最初であったといわれる。日本最古の中学野球は青山学院といわれるが、ブラックレッジ宣教師が82 年から滞在、野球を教えたという記録が残されている。韓国では野球はアメリカ人宣教師により伝えられ、日韓関係に暗雲が漂い始めた1905 年に、YMCA 野球団が結成されている。日本統治下の12 年には、YMCA 野球団は「内地」で試合をしている。韓国映画『爆裂野球団』はそのあたりを背景としたストーリーだ。20 年代になると、日本の影響により野球は盛んとなっていった。高校野球の歴史を遡ると、21 年に釜山商業が朝鮮代表として初参加している。アメリカ、日本そして韓国の複雑な絡み合いの中で野球は隆盛を極めていくのだが、私たちがこうも熱くなるのは、もしかしたら近くて遠い過去の記憶によるものかもしれない。