日本の能面は一種研ぎ澄まされた無表情を装っている。しかしそれは演者の動きに合わせて雄弁へと変化する。対照的に韓国の仮面はみるからに表情が豊かである。民俗学者の金両基(キム・ヤンギ)は日本の鬼面や般若のような強面のものが少なく、実に人間的でユーモラスな表情を湛えていると評する。笑みさえ浮かべているという。シンメトリーな能面と対照的に、仮面はデフォルメされる。特に支配層の仮面は著しくデフォルメされ醜くい。仮面劇においては、両班(ヤンバン)は道化役の下僕に嘲弄、愚弄される。農民は笑いとともに日常の鬱憤を浄化させる。実にカリカチュア精神に溢れるといえよう。「在日」画家の呉炳学(オ・ピョンハク)は仮面を描くときに人間の顔を思い描きながら筆を運ぶという。そうすると温もりが絵に宿るそうだ。能にしろ仮面劇にしろ、観客は仮面か顔かという、「仮」と「実」の間隙に誘われる。そこにこそ飾らずにはおれない人間存在の複雑性、文化の多様性が隠されているのであろう。