恵泉女学園は、1929年、ひとりのキリスト教信徒・河井道によって設立されました。
河井道は、第一次世界大戦後の世界で、未来に深い憂いを抱き、
国境を越えた仲間の女性たちとともに活動をする中で、新しい学校を創ることを決意しました。
9名の生徒で始まった恵泉女学園は、90年近い年月の中で、
中学・高等学校、大学、大学院を擁する学園にまで成長しました。
恵泉女学園の創立者・河井道は、北星女学校(現在の北星学園女子中学高等学校)を起こすサラ・スミスと出会い、キリスト教をもとにした教育を受け信仰を持つようになりました。当時札幌農学校で教えていた新渡戸稲造に学び、その後、アメリカのブリンマー大学へ留学します。帰国後は、女子英学塾(現在の津田塾大学)講師を、また、創設にかかわった日本YWCAでは最初の日本人総幹事をつとめ、国内外を問わず活躍しました。世界に触れた河井道は、平和の実現と女性の役割について考えつづけ、女性の自立を心から願い、“日本で女子のための学校を創る”という一つの夢を描くようになるのです。
「戦争は、婦人が世界情勢に関心を持つまでは決してやまないであろう」――河井道は、世界恐慌から第二次世界大戦へとつづく時代の中で、女性が世界平和の実現に責任をもって貢献できると信じ、少女たちの教育からその一歩を踏み出せると考えました。
キリスト教の教えを基に、自己を尊重し、人種・階級にかかわりなく他者を尊敬し、身の回りにある生命に目をとめて育てうつくしさを味わい、身も心も健康にする教育を目指します。
校名の“恵泉女学園”は、恵みの泉である女子の学びの園という意味です。主なる神にいただく恵みのように、この学園も生命の源から湧き上がる恵みの賜物であらせたいと願い、多くの方々の支援を受けながら、創りあげていきました。
学園創立から90年近くたった今日でも、第1回の卒業生を送り出したときから変わらずにつづいている伝統があります。暗闇の中で、灯りのともされた学燈(ランターン)が、卒業生から在学生へ手渡される「学燈ゆずり」――その後、卒業生は学燈から分け与えられた灯をともしたろうそくを手に、「光よ」を歌いながら退場していきます。ちいさな灯は、世の中に旅立つ卒業生が、どのような場所であってもそこを照らす存在であることのシンボルです。
河井道の愛した聖書の一節「汝の光を輝かせ」そのままに、どこにあっても“なくてはならない人”として輝く女性を、この学園から社会へ送り出すという願いが込められつづけています。自分たちに与えられた能力を「汝の光を輝かせ」の言葉を通し、少女たちに教えたのです。
著書『マイランターン』は、「ここまで、わたしは、わたしのランターンをかかげてきた。時がくると、それは別の手へとひき継がれて、さらに先へと運ばれていくであろう」としめくくられています。
河井道の願ったとおり、恵泉女学園の燈火はいまも引き継がれつづけています。
卒業生はだれもが卒業式のときに手にしたあかりをその胸に灯しつづけ、
自分たちのいるところをしずかに、でも、たしかにあかるく照らしていることでしょう。
世界のあちこちで――日本の中で、地域の中で、家庭の中で、おかれた場所でどこででも、
ちいさくとも世界をあかるく照らす、未来につながる燈火で。