2012年度入学式 学長式辞

2012年04月05日

2012年4月2日(月)に行われた入学式の学長式辞です。

入学式式辞

学長 川島堅二

春の暖かな陽光が溢れ、あらゆるいのちが躍動する時を迎えました。 本日、ここに新入生の皆様を迎え、ご父母、ご家族、保証人の皆様、ご関係の方々と共に入学式を挙行できますことは、本学にとりまして誠に喜ばしいことであります。大学を代表いたしまして、心よりお祝い申し上げます。おめでとうございます。

先ほど宗教委員長の川戸先生に読んでいただきました聖書のことばから、新入生の皆さんへ式辞を述べたいと思います。

式次第にプリントされている聖書の箇所を見てください。最初に「天の国はまた次のようにたとえられる」とあります。イエス・キリストはたくさんのたとえ話で一般の人に分かりやすく、教えを説かれたことは有名ですが、ここに記されているのも、そうしたたとえ話の一つです。ただ「天の国は」と言われると、これって死んだあとに行く「天国」「来世」のこと??と思われるかもしれませんが、そうではありません。(詳しくは来週からはじまる授業、とくにキリスト教学入門などで学びますが、)イエス・キリストが「天の国」というとき、これは「死後の世界」のことではなく、この世のこと、神さまが望まれるこの世のこと、つまり、現実はなかなかそうはいかないのだけれども、神様が望まれている世界はこういう世界なのだ、だから私たちもそこを目指して生きようという目標のようなもの、それが「天の国」と考えてください。そういう意味で、このイエスのたとえ話から、皆さんが、今日から始まる大学生としての生き方の心構えのようなものを一つでも二つでもつかんでいただけたらという願いを持ってお話しするわけです。

「ある人が旅行に出かける時、しもべたちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には5タラントン、一人には2タラントン、もう一人には1タラントンを預けて旅に出かけた」とあります。

ある人とは神さまのことです。しもべたちというのは私たち人間ひとりひとりです。この世に生きている私たちというのは、主人である神さまからその財産を預けられている、そういう存在なのですよというわけです。少し不思議ではないですか。「力に応じて、ある人には5タラントン、ある人には2タラントン、ある人には1タラントン」、神様って平等ではないの、人によって差別をするのと、不思議に思う人もあるかもしれません。聖書は、きれいごとはあまり書いていない、現実に即した物語が多い。すべての人が同じ力、能力ということはあり得ないことです。「よーい、ドン!」と10人の人が競争をすれば1番から10番まで力の差に応じて順位がつく、そのことは幼稚園の子供でも認識している現実です。これはそういう現実に即した話なのです。しかし、大事なことは、その力の差、力の大小、能力の大小は、決して価値の大小ではないということです。大きい方、力が強い方は価値があり、小さい方は価値が少ないということでは決してありません。

先週、私の息子が、ちょうど学部の1年生に入学される皆さんと同じ年齢ですが、4月からの新しい生活が始まる準備、家を出て一人暮らしを始めるということで引っ越しをする、その手伝いをしました。それなりに荷物があるので、レンタカーを借りました。今は便利です。ホームページで、これなら十分荷物が積める大きさのワゴン車を予約しました。朝、レンタカーの店に行って予期していなかったハプニングがありました。その予約したワゴン車が軽自動車だったのです。私は大きさばかり気にしていて、また、ワゴン車=普通自動車と決めてかかっていたので、軽自動車の可能性もあるということは全く考えていませんでした。荷物は十分積むことはできました。しかし、軽自動車で多摩ニュータウンから中央高速、首都高速を乗り継いで千葉県の市川市まで走る。これはちょっとしんどかったです。休日の午前中でしたから比較的道路もすいています。軽のワゴンに積み荷を満載して高速を走ると、エンジンがものすごい唸りをあげる、加速は悪い、スピードは出ない。「まいったなぁ」という感じでした。しかし、市川市に入って高速を降りて、いざ、引っ越し先の住宅に近づいたとき、「あぁ、軽自動車のワゴンで本当によかった」と思いました。初めて行く場所、しかも比較的ごちゃごちゃとした住宅街、カーナビは、アパートの前までは連れて行ってくれません。「目的地が近付きました。案内を終了させていただきます」という音声で終わってしまう。後は住居表示を確かめながら、街の中の車がすれ違えるかどうかの狭い道をあちこち探しながら運転していかねばならない。これは大きなワゴン車だったらたいへんだった。軽のワゴンで本当によかったと思いました。

イエスのたとえ話でいわれている「力の違いに応じて」という「違い」とは、たとえて言えば、大型のトラックと普通自動車と軽自動車の違いのようなものです。大型トラックでなければならない場面もあれば、逆に、軽自動車が力は発揮する場面もある。どっちがより価値が上か下かなどとは言えない、そういう違いです。

しかも、イエスのたとえ話によれば、一人ひとりの力を発揮するためのタラントン(これは才能・能力という意味もある言葉)は、神さまからの預かりものだというのです。それは自分のものではないのですから、たくさん持っているからといって自慢する、誇るような性質のものではありません。大切なことは、タラントンの量の多い少ない、大小ではなく、それを有効に用いるかどうかということなのです。車のたとえで言えば、このタラントンはガソリンのようなものです。あなたは大型トラックだから50ℓ預けましょう。あなたは普通車だから20ℓ、あなたは軽自動車、では10ℓ預けましょうというようなものです。

たとえ話の続きを読むと、5タラントン預かったものは、それで商売をしてさらに5タラントンもうけ、2タラントンの者は同じく商売をしてさらに2タラントンをもうけた。ところが1タラントン預かった人は、それを地中深く埋めたというのです。長くなってしまうのでその先は読んでいただきませんでしたが、やがて主人は帰ってきて、5タラントンと2タラントンの人は「よくやった」をほめたけれども、1タラントンを地面に隠してそれをそのまま返した人には「怠けもの!」と厳しく叱ったというのです。力に応じて、あなたならこの10ℓのガソリンを燃やして素晴らしい働きができると期待して預けたのに、それを用いもせず、隠したままにしておくとは何事か!!というおしかりです。

さらに、この物語にはもう一つ大切なポイントがあります。1タラントンという単位の価値です。タラントンはイエスの生きた時代の通貨(お金)の単位ですが、1タラントンは6,000ドラクメに相当するといわれます。1ドラクメは、イエスの時代、労働者が1日働いて得る賃金だったそうです。つまり1タラントンは6000日分の給料にあたります。今の日本円にするといくらぐらいになるのでしょう。厚生労働省の定めた最低賃金(東京都)は時給837円(昨年10月1日)、1日8時間で計算すると837×8=6696円 その6000倍なので40,176,000円、4千万円を超える額になります。たとえ話の中で、他と比較して最も小さなタラントンしか与えられなかった人も、6000日(16年間以上)の給与に相当する膨大な価値のあるものだということなのです。したがって、他の人と比較して自分にはわずかしか能力がない、力がないといたずらに卑下してはいけない。どんなに小さく見えても、神さまから見る時、そこには大きな価値、可能性が含まれているということです。

今日、この時から恵泉を舞台にしたみなさんの新しい人生が始まります。学部の新入生は4年間、編入生と大学院生は2年間、ここで皆さんお一人お一人が神さまから預かったタラントン(能力、力)を最大限に磨いて、4年後、あるいは2年後にはそれを2倍にも3倍にも成長させて社会へと巣立っていってください。私たち教職員はそういう皆さんを応援するために全力を注ぎたいと思っています。改めて、ご入学、心からおめでとう。