グローバルに生きる

社会に出た後に見えてきた進むべき" 方向"
韓国美容の" 今"を発信して日韓の架け橋に

加来 紗緒里さん

韓国コスメライター
加来 紗緒里さん

― Profile ―

人文学部 英米文化学科1991年度卒
(現 英語コミュニケーション学科)

1992年、大宇ジャパン株式会社(現POSCO INTERNATIONALジャパン株式会社)に入社。約3 年勤務後、1995年3月〜12月まで韓国の延世大学校語学堂に語学留学。帰国後、韓国系企業で働いた後、語学講師をめざして再び留学。帰国後、東京で講師に。2005年から再び渡韓。フリーランスの通訳者、翻訳者、ライターとして働きながら、2009年、韓国ビューティ情報を紹介するブログを開設。

入社2年目から韓国語の勉強をスタート
語学講師をめざして留学

 韓国・ソウルに住んで14年。学生時代、進学か就職かで悩んだときに、先輩から「やりたいことがはっきりわからないなら、とりあえず社会に出てみたら?」と言われ、たまたま就職情報で目に留まった韓国系貿易商社の大宇ジャパン日本支社に入社。仕事で求められる韓国語の能力は電話の取り次ぎ程度。韓国語を勉強し始めたのは入社2年目になってからのことです。旅行のためだったのですが一気に興味が深まり、当時は若くて時間があったことも相まってグングン伸びて勉強が楽しくなりました。会社は3年ほど勤めて退社し、1995年、延世大学校に約1年間語学留学。帰国後はサムスンジャパンなど韓国系企業で働きましたが、バリバリ働いてキャリアアップするような状況ではなく、将来に不安を感じるように。そこで語学講師をめざして再び韓国へ留学。帰国後、東京で韓国語講師になれたのですが力不足を感じる日々...。

 韓国と日本を行き来する中で、韓国語を生かした仕事がしたいという思いはますます強まり、2005年、意を決して日本の生活を畳み、知り合いを頼って渡韓しました。そして、フリーランスの翻訳者、通訳者、コーディネーターの道をスタートさせたのです。

30代後半で移住を決意
趣味を生かしたブログで道が開けた

加来 紗緒里さん 韓国に拠点を移したものの当時すでに30代後半。フリーランスなので収入も不安定でした。自分の実績を残したい、次の仕事につながることがしたい――そう 考えて立ち上げたのが、『韓国コスメ イヤギbyジャヨンミ』という韓国のビューティ情報を発信するブログです。「イヤギ」は「話」、「ジャヨンミ」は「自然美」という意味。コスメは学生時代から好きでした。

 しかし、立ち上げた10年前は、今と違って韓国の情報は少なく「韓国の化粧品って 大丈夫?」と聞かれたことも。それでも毎日のように更新し続け、今ではたくさんの読者 さんに楽しんでいただいています。ブログ開設をきっかけにガイドブックや女性誌などラ イターとしての仕事も増えました。

 2015年からは慶尚北道という都市の広報大使、2019年からは大邱寿城区の医療観光活性化をめざすメディカル寿城サポーターズを務めるなど仕事の幅も広がりました。また、3年前からは旅行会社と共同で、美容と健康に特化したツアーを企画、実施しています。お客様の多くはブログの読者さん。韓国ではポピュラーな韓方(韓国では" 漢方"をこのように表記)のクリニックで鍼を体験したり、交通が不便な地方の名所を巡ったり、なかなか個人では行きにくい場所にご案内するので喜んでいただいています。
読者さんとはネット上では交流はありましたが、実際にイベントやツアーでお会いすると より手応えを感じます。「情報が役に立った」「ツアーにまた来たい」という感想をいただいたときはとても嬉しいですね。

加来 紗緒里さん 政治の上では日韓関係は難しい面もありますが、生活の上で直接嫌な思いをしたことはありません。むしろ、移住した当時はこれほど日本でも韓国カルチャーが浸透すると思っていなかったので驚き喜んでいます。

個の存在を大切にする
恵泉のキリスト教教育が心の支えに

加来 紗緒里さん

 中学からどっぷり恵泉っ子だった私にとって、恵泉での学びはあらゆる点で現在につながっています。海外への憧れも語学堪能な先生方の影響です。また、恵泉の教育はキリスト教がベースとなっているので一人ひとりを大切にします。辛かったときにぶれずにいられたのは、家族の存在と、個を大切にする恵泉での教育のおかげです。

 実は、中学のとき友人関係のトラブルで学校に居づらい時期がありました。以来、教会は心の避難所となり、高校のときに洗礼を受け、大学時代には「シオンの会」というキリスト教のサークルを立ち上げました。好きな言葉は「地の塩、世の光となれ」。派手な活躍でなくとも社会の中で必要とされる存在になれ、という意味だと理解しています。恵泉創立者の河井 道先生の著書『わたしのランターン』もこの聖句がもとになっていて、学校ではよくこの言葉を耳にしました。

 今年で満50歳。この年齢だからこそ発信できることを模索し、今後も韓国にまつわる等身大の情報を発信していきたいと思っています。

― Message to Students ―

私が韓国語に取り組んだのは社会人になってから。遠回りしましたし失敗もたくさん。そんな私だからこそ、学生の皆さんには、具体的な方向や社会との関わり方が今すぐわからなくても、闇のトンネルにいる感覚になっても、きっとその先には光があるし、いつか自分が誰かに必要とされる光になるときが来るとお伝えしたい。そのためには周囲の輝かしい成功例だけでなく、失敗例からも学び、自分の失敗も恐れずに次に向かう力を失わず、一歩一歩あゆんでほしいと思います。