韓国留学で学んだもの 派遣留学生の声:韓国

2004年11月11日 投稿者: M.Y.

私はこの留学生活で、言葉を学んだり、新羅大学の授業に出席したり、他にもさまざまな体験をした。しかし、私の心にしっかりと残ったのは、具体的にはっきりと示せる技術や知識などではなくて、もっと抽象的なもの、精神的なものだ。

私たち日本からの留学生は、新羅大学の寮で暮らした。実際に寮で暮らし始める前は、食事が口に合うかどうか、ルームメートとうまくやっていけるかどうかなど、不安がいっぱいだったが、結果的に寮での暮らしは、私にとって何よりも貴重な体験、そして思い出となった。私の最初のルームメートは日本人だったが、部屋の隣や向かい、斜め向かいには、韓国人と中国人、日本人とアメリカ人といった具合に、国の異なる2人が一緒に住んでいた。私たちの会話は、英語、韓国語、日本語、中国語、漢字、そしてジェスチャーや絵などすべて使って話す、なんとも労力を使う奇妙な会話だった。それでも私たちは、自然と仲良くなっていった。
私たちにとって、あらゆることが話しの種だった。掃除・洗濯などの日常生活から、食べ物、授業、人間関係にいたるまで、本当に話は毎日尽きることなく弾み、お互いの文化について知ることは本当に面白かった。町を歩いて道が汚いとか、あのファッションは考えられないとか、誰かが言った一つ一つについて、お互いの国はどうなのか、また考え方を必ず知りたくなって聞き合った。4カ国の友達が一緒に行動しているわけだから、4通りの考え方や風習などがある。
私がここで学んだことは、相手のすばらしいものを、自分のものより良いと認めることも、相手のものより自分のものが良いと認めることも、信頼関係があればできるということだ。それぞれの風習や文化が違って、それぞれどれも甲乙など付けるべきではないとか、みんな違うから面白いとか、みんな違って良いとか、そういうことは今までもことある毎に学んできたし、私自身も感じてきた。確かに、根本的なところではどちらが優れているか正しいかなどという議論は、無意味な場合も多いだろう。しかし不思議なもので、本当に親しい友達が、それは自分の国のほうが良いなどと言っても、ぜんぜん気に障らない。納得することも多く、また逆に、あらためて自分の文化のすばらしさを感じたり、さらにそれを伝えることもできる。そして、それが互いに認め合えるのだから、毎日会話も弾むのだ。
そして、さらに仲良くなっていくと、韓国人、中国人、アメリカ人、日本人であるという枠よりも、一人の人間として、お互いに付き合っていけるようになったように私は感じた。互いに向き合って認め合うということは、自分を認めることでもあるし、違うことも良いことも悪いことも、相手の気持も自分の気持も、納得できないと思う心まですべてを認めることではないだろうか。もちろん、そんな対人関係を築くのが少し難しいときもある。しかし大切なのは、正直に誠意を持って相手に接することだ。そうすれば、人と人のつながりは、確かなものになるのだと思う。
とにかく私たちは、一緒に生活をしていく中で、国の違いを超えて相手を一人の人間、友達として見られるようになった。そして、そんな信頼関係がしっかりしたものになったとき、相手の国が身近になったのだ。友達の幸せを願う気持ちは、友達の国の平和や安定を願う気持ちにつながり、また、自分の国と友達の国の関係が、さらに良いものになるように、互いに思わずにはいられない。さらに言えば、こうして相手のことを考えられることが、自分だけではなく、世界の平和を心から願い、実現する力につながるのかもしれない。
私は韓国留学のなかで、人は人とのつながりのなかで生きていく、ということを実感した。日本にいる家族や、これまで信頼関係を築いてきた友人とのつながりは言うまでもなく、さらに広がっていく新しい信頼関係、新しい友人とのつながりである。互いに一人の人間として、相手と付き合ったとき、そのつながりは、国籍も背景も立場も何も関係がない。そしてそのつながりは、私たちが相手を信頼する心を忘れなければ、生きている間ずっと広がり、深くなっていくのだろう。
以前、私の祖父母や親が一番大切にしてきたものは、人のつながりだと聞いたような気がする。いま初めて、私はそれを実感できる。そして、自分の周りにいる人を大事にして、また少し遠くにいる人も大切にして、相手のことを考え、誠意を尽くす人になりたいと思う。