中国(杉達大学)協定留学生より1 派遣留学生の声:中国

2015年04月07日 

2014年2月より2015年1月まで中国の杉達大学に協定留学していた学生より、約1年間の留学生活をまとめた報告書が届きました。

 

私は2014年2月~2015年1月まで恵泉女学園大学の協定校である、上海の東の方に位置する杉達大学に約1年間留学をしていた。留学の目的は、まず1年生の頃に第2言語で中国語を専攻し、2年生のゼミで日中の歴史、経済を学び中国に関して親近感があったからである。その他にも現在日中関係が良好とは言えない中でも、多くの日系企業が中国市場をターゲットとしていることが事実である。そこで私は将来ビジネスを行う上で、英語の次に中国語は大事な言語であると考え、現地に行きネイティブの中国語を学びたいと思い、今回の上海留学を決意したのである。

はじめに、勉強面について振り返る。1年間主に学ぶのは中国語である事から、目標は帰国後HSKなどの検定を取得することであった。春学期の頃は中国語を勉強して間もなかったので、他の授業についていくレベルにまで到達できず、授業は体育と英会話だけであった。だが、秋学期には自身の中国語が伸び、5つの授業を取ることができた。その背景の裏には、たくさんの中国人の友人のサポートのおかげであると私は思う。友人が毎日私の会話練習の相手になり、毎日中国語に触れていることから、聞く力、話す力が伸びたからである。自身の性格上、好奇心旺盛で明るく何事にもチャレンジすることから自然とまわりに友人はたくさん出来たのである。

秋学期はHSK対策を中心に自身の中国語のレベルを上げていき、ビジネスマナーや国際貿易など将来役に立ちそうな授業を受講した。目的は中国語を学ぶ為に留学しに来たが、やはり英語も怠らないように英語の授業も受講した。英語学科の学生と混じり授業の講義を受けていたが、私の想像を上回る程学生たちの英語能力は高かく、日本と中国の英語教育の違いはどこにあるのか疑問に思った。私も負けていられないと思い、中国語と同様に英語にも力を入れ勉学に励んだ。

次に、生活面について振り返る。私は実家暮らしであった為、日頃の炊事洗濯はお母さんのサポートがあったので困りはしなかったので、今回上海で1年間過ごす上で炊事洗濯が一番不安であった。時間がある時は家族、友人などに手料理を招く時もあったが、洗濯に関しては回したことがなかった。今回の留学を機に私は自立し、日頃お母さんの有り難みを実感した。

上海での生活では、自身の中国語はままならない為、すぐに日本語学科の友人ができ、彼女達は私の生活を1年間サポートしてくれた。買い物をする際やご飯を食べる際に色々とお世話になった。週末には上海の市内、観光地にも案内をしてくれ、長期休みがあると友人に家に遊びに行くなど上海以外の地域にも足を運んだ。友人宅に訪問した際には、親御さん世代の中国人は愛国教育ということもあり、日本人に対するイメージは良くないにも関わらず、「国同士の関係は悪いが、私達には関係ない」と快く受け入れてくれたことに、私は中国人に対するイメージががらりと変わった。日本人のことを良く思わない人も居るが、このような人も中国にはいることを知り、とても感動した。

最後に、留学を通して勉強はもちろん中国の文化や習慣なども学ぶことができた。そして近年はメディアなどを通して日中関係が良好とは言えず、中国に行った際には友達ができるか、1年間過ごしていけるのか不安ではあったがそんな不安もすぐになくなった。実際に中国に行って感じたのは、多くの学生達は日本のドラマやアニメ、化粧品、日本食など日本に興味を持ってくれる人達が多く、すぐに打ち解けることができた。私達日本人中国人はメディアやイメージなどでお互い本当の姿を知らないような気がした。中国人の学生との交流を通して、お互いを理解し合うのに必要なのは言葉だけではなく、文化や歴史を知らなければならないと考えた。今回の留学では勉強に積極的に取り組むと同時に、たくさんの人に出会い私の視野は広がった。実際に現地に行かないとわからないことも多く今後、たくさんの日本人が中国を選択し留学に行くことを願う。そして、留学での一番の収穫はたくさんの友人ができたことだと私は思う。その場限りだけでなく、今でもSNSを通して友人と連絡を取り、その友人が日本を訪れてくれることを楽しみにしている。私も時間があれば、お世話になった人々に会いに上海に行きたいと思う。

大学3年生というこの大事な時期に1年間協定校の中国・上海に留学でき本当に良かったと思っている。それも両親を含め先生方友人の周りの支えがあったからであり、本当に感謝をしている。中国に留学したことを武器に、自分の研究テーマとなる日中関係についいて論文を書き、それと同時に就職活動にも力を入れていきたい。