■卒業年:2008年3月卒業
■勤務先:幇間(太鼓持ち)
こざっぱりとした短髪、着流しに紋付の羽織、へいらっしゃい!と、扇子を片手に料亭のお座敷へ。中にはお客様と美しい芸者衆。そこでお酌をしたり、軽妙洒脱な演芸で興をつけたりするのが、幇間(ほうかん)、俗に「たいこもち」といわれる花柳界の男の芸人でございます。
私は女性ですが、この「男芸者」とも言われた商売をしています。こんな酔狂な女はなかなかおりませんで、弟子入りして修行期間を経て、2010年に史上初の女性幇間になりました。学生時代は"えんげい"と打てば"園芸"が一発変換で出たモンですが、今ではすっかり"演芸"のほうが優先して出るようになりましたね。
閑話休題。恵泉でのお話ね。
私の学生時代の活動は、人間環境学科荒井ゼミと日本語教員養成課程副専攻と茶道部の3本柱でした。
茶道部で培った素養は今の仕事に活きてますし、部長を務めた経験が卒業後、会社員時代に(就活してマトモにお勤めしたこともあったンです!)統率力やリーダーシップが試される場面で役立ちました。
日本語教員養成課程副専攻では、日本語表現の豊かさや構造をより深く知ることが出来ました。また、それらを駆使して人前で"なんかやる"のがどうやら自分の性に合っている!というのを確信しました。
そして何より荒井ゼミ。心理でも環境でも園芸でもない、どこにも所属しない(できない?)クセのある一匹狼系の学生の寄せ集めで、山手線というフライパンでチャーハン炒めました、というくらいグルグルでとっ散らかっていて、混沌とした刺激的な内容のゼミでした(しかし部屋はどの先生よりきれいで上品でした)。それもこれも死生学、宗教学、差別問題、ハンセン病、セクシュアル・マイノリティと多岐に渡り研究され、あたたかいお人柄であった荒井先生のおかげに違いありません。おかげで私はやりたい放題に取材し、文献を読み漁り、書きたいことを書き、知的欲求を満たすことができました。新宿ニ丁目へ卒論の突撃取材に行ったときの「よくやるわね~、あなたくらいしかやらないわよ」と感心半分あきれ半分の荒井先生の反応を今でも覚えています。
ヒトのセクシュアリティ(とりわけセクシュアル・マイノリティ)やジェンダー、男らしさ、女らしさとは何なのか、人は人をどこでどう判断しているのか(例:化粧してスカート穿いて駅前を歩くとキャバクラのティッシュがもらえるが、スッピンGパンの日だともらえないのはなぜだ!)などの問いは、今の私に活きています。
当時は、まさか自分が性をトランスした商売に就くとは思ってもいなかったのですが。
荒井先生、あなたの教え子はこんなんですが、今後も人の期待の斜め上をゆく人生を生きます。