長年、京都精華大学で教えていらっしゃったボケット先生に「泰緬鉄道」の話を 映像を通してお話していただきました。泰緬鉄道とは第二次世界大戦中に建設され ていた日本兵に食料などの物資を輸送することを目的としたタイとビルマ (現在、ミ ャンマー )を繋ぐ鉄道です。
また、過酷な労働により多くの犠牲者を出したことに より、別名「死の鉄道」と言われています。泰緬鉄道の建設には、多くの西洋人捕 虜やアジア人労働者が使われ、 1日中働き続け、多くの捕虜や労働者は、日本の 方針として死ぬまで働かされていたそうです。食事は米とシチューの1日2食で、日 本兵が食べ残しを置いて、食べ残しの奪い合いが行われていたそうです。さら に、コレラなどの疫病が発生し、医療品不足で多くの捕虜や労働者は死んでしまった そうです。捕虜の死亡者は、名前を記載してある記録が残っているため、カンチ ャナブリ市内の共同墓地に埋葬されているが、アジア人労働者の遺体は穴に放り 込まれたため記録がないので、未だに遺体が発見されていない人も多くいるそうで す。またアジア人労働者の中には、現在高齢になってしまったので母国に帰ることが 出来ていない人もいるそうです。現在はナムトク線として残っていて、観光地となって いるが、「泰緬鉄道」の名残はなくなってしまったそうです。
実際に「泰緬鉄道」建設の地であるカンチャナブリに行き、「泰緬鉄道」に関係す る博物館や連合軍共同墓地を見ました。博物館には、当時の写真や遺留品や絵画 や映像などが展示されていました。日本軍は連合軍捕虜やアジア人労働者にとても 酷いことを行っていたことを改めて思い知らされました。さらに、連合軍共同墓地 にも行きました。この墓地には、20代~40代の連合軍捕虜が眠っている墓地です。 私は、同世代の連合軍捕虜が過酷な労働をし、飢えと薬がないために命を落とし ていったという事実を知り、とても心苦しかったです。私は、「泰緬鉄道」建設の加 害者側である日本人として、このような残酷な「泰緬鉄道」の事実を決して忘れ てはいけないし、知らなければいけない事実であると改めて思いました。