カンチャナブリフィールドトリップ事前準備授業:泰緬鉄道と日本の戦争史
2018年08月18日 投稿者:国際社会学科3年 井原美波
8月16日は、翌日からのカンチャナブリフィールドトリップの事前授業として、京都精華大学名誉教授のデイビット・ボゲット先生に、泰緬鉄道と日本の戦争史についてお話ししていただきました。
泰緬鉄道とは、日本からミャンマーのヤンゴンまで行こうとしていた日本軍が、イギリスの支配していたインド洋を通ることができなかったために、自分たちが海路で行くことのできるバンコクより北のミャンマーまでを陸路で行けるようにするために建設した鉄道です。 この鉄道の建設には、日本の捕虜となっていた連合軍や、当時日本が支配していたマレー半島、インドネシア、ビルマ(ミャンマー)、タイ、インドシナなどの市民 が動員されました 。その中でもアジア人たちは一般市民にもかかわらず強制的に働かされ(彼らのことを労務者と言います)、 戦後も自分の国へ帰ることができなかった人もいます。
今回の授業で、全長415kmという長い距離を1年数ヶ月で作るように命じられていたことにとても驚きました。日本軍から建設命令が出る10年前にイギリスが行なった測量によると、建設には10年がかかると見込んでいたそうなのです。短い期間で行うため、捕虜や労務者の扱いは同じ人間とは思えないものでした。人間が人間として扱われないことなどあってはならないけれど、そのようなことが実際に行われていた と思うとゾッとします。
また、コレラに感染した労務者たちが埋められるところに、まだ息をしている人もいたことが衝撃的でした。確かにコレラに感染した人は治療ができず亡くなってしまうかもしれないけれど、生きている命を粗末に扱うことはあってはいけません。戦争の恐ろしさはたくさんの被害があるだけでなく、人間を人間として見ていないということにもあるのだと分かりました。
第二次世界大戦以降の戦争は、一般市民が巻き込まれているという特徴があります。連合軍捕虜は兵士だったけれど、労務者は一般市民でした。現在自国の危険から逃れるために難民となっている人々も一般市民です。国の中で権力を持つ人たちが争うと、被害に遭うのは普通に生活を送る人々です。泰緬鉄道建設で苦しい思いをした人や、今もなお戦争によって苦しんでいる人に想いを馳せながら、泰緬鉄道に乗る時間や戦争博物館見学の時間を過ごせたらと思います。
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