カンチャナブリフィールドトリップ

2018年08月29日  投稿者:国際社会学科3年 根岸幸子

8月17日から19日にかけて、毎年長期FSプログラムでお世話になっているカレンの村の村人2人に同行してもらい、押山先生と村人の運転で、チェンマイから車で10時間かけてカンチャナブリ県に行き、カンチャナブリフィールドトリップを行いました。

18日の朝食後、カンチャナブリ市内にある昭和19年2月当時の日本軍によって建てられた泰緬鉄道建設に従事し亡くなった連合軍および関係者の方々の慰霊塔や個人所有の泰緬鉄道関連の品が展示されている戦争博物館、映画『戦場に架ける橋』の舞台となったクウェー川鉄橋を訪れ、10時30分の汽車で、泰緬鉄道、カンチャナブリ駅からタムグラセー駅まで向かいました。タムグラセー駅に到着した後、クウェー・ノイ川に沿って岩壁すれすれに作られた全長約300mのS字カーブの木造橋、アルヒル桟道橋を歩いて渡り橋の高さや風を体感しました。その後、痩せ衰えた連合軍捕虜を照らし出してゆらめくたき火の明かりにちなんで名前が付けられたヘルファイアー・パスの博物館、ヘルファイアー・パス・メモリアルの展示を見て、実際にヘルファイアー・パスを歩きました。また、カンチャナブリ戦争博物館の別称である、J =Japan、E =England、A =America and Australia、T=Thailand、H=Hollandの頭文字を並べたJEATHミュージアムにも訪れました。

19日朝、連合軍共同墓地と泰緬鉄道博物館を訪れました。連合軍共同墓地には泰緬鉄道建設に携わり、けがや病気で命を落とした連合軍捕虜6982人の墓石が芝生と各墓石に植えられた花々の中、整然と並んでいます。20代の若者から3、40代の男性が埋葬されています。泰緬鉄道博物館は2003年に新設された博物館で、泰緬鉄道建設の歴史や捕虜の生活ぶりなどに関する資料を展示していました。

実際に泰麺鉄道に乗り、連合軍捕虜やアジア人労務者たちが建設した橋の高さを体感したことで、連合軍捕虜やアジア人労務者たちがとても過酷な環境で建設作業をしていたのだと考えさせられました。その一方で、泰緬鉄道建設に従事し亡くなった連合軍捕虜やアジア人労務者たちの冥福を祈るとともに、当事国の国民として泰緬鉄道建設の歴史や事実を後世に継承していくことが必要だと思いました。歴史の教科書に記載することはもちろん、実際にあったことを多くの人が認識する必要があると痛感しました。

また、連合軍捕虜は記録があったため戦後の生存者たちによって共同墓地に埋葬されていますが、インドネシアやビルマ、タイなど記録がない名もなきアジア人労務者たちは地中に眠ったままであるということがとても印象的でした。アジア人労務者についての限られた資料を探し、彼らについての情報収集、それらを伝えていくなど、自分たちにできることがあるのではないかと考えさせられました。まずは戦争関連の書籍や映像資料を調べることを手始めに、今を生きる若者の一人としてできることをしていきたいと思います。

泰緬鉄道の車内で同行した村人と