カンチャナブリーを訪れて
2019年09月02日 投稿者:国際社会学科2年 ひかる
サワディーカ。タイ長期FSに参加している、甲賀光留です!
8月22日、恵泉女学園高等学校とタークリープラチャーサン高校の日タイ文化交流プログラムが終わり、私たちはカンチャナブリ県、ミャンマーの国境近くにある街サンカブリーへと向かいました。サンカブリーには、モンブリッジという向こう岸にあるモン族の村に移動するために、モン族の村人が作った橋があります。私に馴染みがあるコンクリートの橋とは違い、木で橋ができています。もののけ姫の中に出てきそうな橋で、とても美しかったです。
次に、サンカブリーから車で約2時間移動し、ヘルファイア・パスに行きました。ヘルファイア・パスは泰緬鉄道を建設する際に最も困難を極め、強制的に建設作業させられたイギリス・オランダ・オーストラリアなどの連合軍捕虜とアジア人労務者が一番多く亡くなった場所で、山を崩しながら線路を敷いていく突貫工事で、夜通し作業が行われていました。その作業の際に灯されていた灯りが「Hellfire Pass(地獄の送り火)」の様に見えたため、この名がつけられました。私たちはヘルファイア・パスがある博物館からヘルファイア・パスまで歩いて行きました。現在ヘルファイア・パスには鉄道が通っていなく、とても静かな森の中にありますが、道には当時の枕木が埋まっていました。その枕木は悲惨な出来事が確かにあったことを私に感じさせました。
次に、私たちはアルヒル桟道橋があるタム・クラセー駅から約1時間半、旧泰緬鉄道に乗りクウェー川鉄橋駅まで行きました。
そしてクウェー川鉄橋駅から、カンチャナブリ市内に入り、イギリス・オランダ・オーストラリアなどの連合軍の兵士たちが眠っている、連合軍共同墓地、連合軍共同墓地の隣にある泰緬鉄道博物館に行きました。この博物館は比較的新しく、泰緬鉄道建設に関する資料が展示されています。展示の説明は、全て英語とタイ語で書かれています。私は2つの言語とも達者ではないので読むのが大変でした。しかしカンチャナブリ市内で一番泰緬鉄道のことを知れる博物館だと思うので、泰緬鉄道のことを知りたい方は、訪れたほうがいいと思います。
私がカンチャナブリを訪れて一番印象だったことは、連合軍共同墓地を見て回った時、私と同い年である20歳で亡くなった青年兵のお墓を見つけた時です。私は、ありがたい事に健康かつ、今自分がしたいことをしています。けれど、彼は強制的に働かされて20歳で亡くなってしまいました。また、連合軍の捕虜兵士たちだけではなく、故郷に一生帰ることができず、ジャングルに眠るアジア人労務者の方々もたくさんいます。今、私はタイで当時の日本軍が行ったことにも心が痛みますが、日本の戦争時の加害の歴史を知らず、韓国との関係を叩く日本人を見て心がとても痛んでいます。日本軍は、彼らの一度きりの人生を奪ってしまいました。もう二度と誰かの人生を奪わないためにも、日本の学校教育で戦争の歴史を教えて後世に繋げていくべきだと私は思います。
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