カンチャナブリフィールドトリップでの学び

2022年09月30日  投稿者:IS3年 A.K

こんにちは。今日はチェンマイから車で片道約11時間、中部タイのカンチャナブリ県へのフィールドトリップ<FT>で学んだことについて話したいと思います。カンチャナブリFTでは、第二次世界大戦中の1942年から1943年にかけてタイからビルマ(現在のミャンマー)へ軍事物資や食料を日本兵に送ることを目的として日本軍の指示よって建設された鉄道建設で、連合軍捕虜やアジア人労務者が過酷な労働を強いられ食料、医療品不足で多くの犠牲者を出したことから「死の鉄道」と呼ばれる「泰緬鉄道」を通して、アジアにおける日本の戦争史を学ぶため、泰緬鉄道に関係のある場所を巡りました。

日本軍鉄道隊が泰緬鉄道の完成に合わせて1944年2月に建設した慰霊塔、中国系タイ人が建設、管理している第二次世界大戦博物館、クウェー川鉄橋、ヘルファイヤーパス博物館(泰緬鉄道建設の際、最も多くの犠牲者を出した場所にオーストラリア政府の支援で設立された)、寺の僧侶によって管理されているJEATH戦争博物館、連合軍共同墓地、そして泰緬鉄道建設に関する資料を展示している泰緬鉄道博物館に行きました。

また実際に、カンチャナブリ駅から泰緬鉄道に乗り、タムグラセー駅で下車しました。現在でも鉄道は使われており、列車が通っていない時間は線路の上を歩くことができます。他にも橋の上を列車が走る様子を至近距離で見ることができたり、列車からの景色を楽しんだりと今ではタイの有名な観光スポットになっていました。しかし泰麺鉄道建設の背景にはとても悲惨な歴史があること、多くの犠牲者が出たこと、当時の日本軍の振舞いを含め、戦争の恐ろしさをもっと多くの人に知ってもらいたいと思いました。

連合軍共同墓地では、泰緬鉄道建設に携わり命を落とした20代~40代の連合軍兵士6,982人が埋葬されていました。墓石には一人ひとりの名前や年齢、メッセージなどが彫られていました。自分と同い年や年下の方の墓石を見つけた時、その若さで強制労働を強いられ、自分の好きなことを何も出来ず亡くなったのかと考えると日本軍の行いがどれだけひどく、決して許されない事実であることを思い知らされました。

私はこれまで日本は広島や長崎の原爆があったからこそ、戦争の悲惨さに対する痛みを理解していると思っていましたが、日本のアジアにおける加害者性について、日本人である私たちがもっと知る必要があると痛感しました。私自身、長期タイFSの事前授業やカンチャナブリFTで学ばなければ考えられなかったことなので、もっと泰緬鉄道のことやアジアにおける日本の戦争史に関して学び、日本人として忘れてはいけない加害の歴史を受け止めなければならないと感じました。

日本軍鉄道隊が建設した慰霊塔
多くの犠牲者を出したヘルファイヤーパス
ヘルファイヤーパス博物館内
連合軍共同墓地