泰緬鉄道と戦争

2024年09月29日  投稿者:PH3年 Aitim

タイ長期FSが始まり、もうすぐ2カ月が経とうとしています。私たちは、9月15日から19日にかけて、日本軍が犯した戦争犯罪、泰緬鉄道について学びました。まず、チェンマイ県からナコンサワン県を経由し、車で11時間かけてカンチャナブリ県へと向かいました。初めに泰緬鉄道博物館(Death Railway Museum)と、第二次世界大戦博物館を見学しました。博物館には、泰緬鉄道についての歴史だけでなく、そこで起こっていた栄養失調による病や伝染病、日本軍による過酷な労働や拷問などの資料が多く展示されていました。 

翌日は、日本軍建立の慰霊碑と連合軍共同墓地へ向かった後、泰緬鉄道に乗り、ヘルファイアパス・メモリアルというオーストラリア政府が寄付をして建てられた博物館を見学しました。そこには、泰緬鉄道で残酷な体験をした連合軍捕虜たちの悲惨な体験談が動画で流れていました。見学後は、最も犠牲者が出たと言われている「地獄の切り通し」まで歩き、連合軍捕虜と捕虜によってできた、高さ10mもある断崖を通りながら、日本が犯した罪を肌で感じました。

最終日は、車でカンチャナブリ県からバンコクへ移動し、瀬戸正夫さんに第二次世界大戦時の体験談を伺いました。瀬戸さんは日本人の父とタイ人の母から生まれ、幼少期にバンコクで第二次世界大戦を経験し、激動の時代を生きて来られました。『父と日本に捨てられて』や『瀬戸正夫の人生(上下)』などの著書を出版し、今でも語り手として多くの人が瀬戸さんの話を聞きに訪れています。瀬戸さんは小学生の頃、バンコクの日本人学校で厳しい軍事教育を受け、手榴弾の投げ方や魚雷の打ち方、切腹の仕方を習うなど、第二次世界大戦中の体験談を伺うことができました。一番印象深く残っている言葉は、「戦争だけは、やってはいけない」という言葉です。戦争を体験したからこそ、腹の底から出る、戦争に対する苦痛の思いが伝わり、胸が痛くなりました。また瀬戸さんは、何を言われてもくよくよせず気にしない強さと、いい友人を持つことが、前を向いて生きる上で大切な事だと教えてくれました。つらい過去や死に際を経験しても尚、輝く笑顔を見せてくれた瀬戸さん。その姿から、私も挫けない心と自分を信じる強さを持って、一日一日を精一杯生きたいと思いました。このような貴重なお話を聞けたこと、心から、感謝致します。

私は、このタイ長期FSの事前授業で初めて泰緬鉄道での出来事を知り、衝撃を受けたのを今でも覚えています。第二次世界大戦における日本というと、原爆を落とされて被曝したというイメージを持っていましたが、原爆を落とされる要因を、日本が作っていたという事も忘れていけないことが分かりました。また、日本の歴史教科書で習っていなかったとはいえ、泰緬鉄道の様に日本軍の被害にあった人が、日本人であるのにも関わらずその悲劇を知らずにいると知れば、非常識だと感じると思います。このことから、教科書を読むことで歴史を理解したつもりになるのではなく、現地へ赴き、体験談を元にして真相を知りに行くことが、何より重要であることが分かりました。今後も、日本の犯した罪を背負い、二度とこのような戦争が起きないよう、政府の動向に目を光らせていようと思います。そして、多角的な視点を持って情報を集め、物事を疑えるようになりたいと思いました。

地獄の切り倒し
地タムグラセー駅で歩いた泰緬鉄道の線路
瀬戸正夫さん(93歳)