マチュ・ピチュ:天空へとつながる世界軸(ペルー共和国、複合遺産/1983年登録)
1911年7月24日、その日、若きアメリカ人考古学者ハイラム・ビンガムは、16世紀にこの地を征服したスペイン人たちの間でインカ帝国の金銀財宝が眠る「幻の都」として語り継がれてきた「ビルカバンバ」(「黄金のゆりかご」)の伝説に導かれ、ウルバンバ川下流の傾斜の激しい山道を、草木をかき分けながらよじ登っていた。登りつめた頂上で、彼はついに鬱蒼と茂った樹木に覆われた壮大な廃墟に遭遇する。インカ帝国の滅亡からおよそ400年、黄金を求めたスペイン人の執拗な探索にもついに発見されることのなかった壮麗な都市―のちにマチュ・ピチュと呼ばれることになる―が長い眠りから目覚めた瞬間であった。それは、標高2700mのワイナ・ピチュ(「若い峰」)と、アマゾンに向かうウルバンバ川が流れ込む深い渓谷の岸に鋭くそそり立つ標高3050mのマチュ・ピチュ峰(「老いた峰」)との隙間の鞍部に、まさに空中に浮かんでいるかのように築かれた総面積約5㎢にわたる石造りの荘大な計画都市である。ビンガムがビルカバンバと確信したマチュ・ピチュは、残念ながら、後の調査により、その建設時期がスペイン人到来以前のインカ帝国第9代皇帝パチャクティ時代(1440年頃)であることが判明し、結局、ビルカバンバの所在は再び霧の中へと消えてしまった。
遺跡内部には、巨石による精緻な造りの200以上の神殿や家屋、山の急斜面を利用した40余の段々畑、106もの墳墓、整備された灌漑施設や16か所もの水汲み場などが設けられており、明らかにそこが人々の生活空間であったことが伺える。しかし、都市の建設には不便きわまりないこの場所に、なぜ人々はかくも大きな都市を築いたのか、そこがビルカバンバでなければ一体、何だったのか――王族や貴族たちの避暑地・離宮であったとか、太陽に仕える乙女たちが集められた聖地であったとか諸説紛々だが、いずれも憶測の域を出ない。注目されるのは、遺跡の要所に造られたインティワタナ(「太陽をつなぎとめる石」)と呼ばれる太陽の動きを観測する建造物である。太陽(神)に最も近いその山の頂は、皇帝が太陽から時を授かって暦を作り、その太陽に祈りを捧げる宗教的な儀礼空間だったのではないだろうか。マチュ・ピチュの地に立つ者はおそらく誰もが、ただただ圧倒されるその景観に、あらゆる思弁や理屈を超えて、そこが天空へとつながるまさしく「世界の中心軸」Axis Mundiであることを体感し、魂が震える感動を必ずや覚えるであろう。
笹尾典代(宗教学・ラテンアメリカ宗教文化論)