南米アンデスの山中にポトシ鉱山が発見されたのは1545年、スペイン人によるインカ帝国の滅亡からわずか十数年後のことだった。スペイン植民地時代に「セロ・リコ(富の山)」と呼ばれたその鉱山で産出された大量の銀は、その後スペイン銀貨としてヨーロッパそして世界中に流通し、産業革命の前段階である経済革命を引き起こした。
現在、ポトシでは銀は産出せず、代わりに錫などの鉱物が採掘されている。鉱山の内部には坑道が蟻の巣のように延びていて、ここを移動するには、息が詰まるような狭くて暗い道を、ときに腹ばいになって進まなければならない。この坑道の奥には、「エル・ティオ」(「叔父さん」)と呼ばれる神が祀られている。一見するとそれは、角を生やした恐ろしいディアブロ(悪魔)の姿をしている。そもそもそれは、インカ時代には「アチャチラ」と呼ばれた山の神であり、大地の女神「パチャママ」と並んで、人々に農作物や家畜をもたらす恵みの神であった。しかしスペイン人の到来後、アンデスの神々はカトリックの立場から「悪魔」として否定され、それをおおっぴらに崇拝することは禁じられた。
この神について、ボリビアの社会派歌手のルイス・リコは次のように歌う。
エル・ティオはひとりたたずむ、
見捨てられた坑道の奥に。
守護の光を発しながら、
苦い思いを胸に秘めて。
山から豊富に産出される鉱物は、エル・ティオの恵みである。それはかつてスペイン帝国を、後には独立したボリビアの経済を潤した。しかし鉱山の生活は楽ではない。植民地期に鉱山の強制労働で犠牲になったインディヘナ(先住民)の数は、実に数百万とも言われる。現在でも鉱山夫の平均寿命は50歳以下である。彼らは薄暗い坑道の中で、わずかな給金を得るために、過酷で危険な労働に従事している。植民地期を通じて民衆が被ってきた社会的不正や暴力は、いまだボリビアの社会から消えてはいない。コロンブスによる新大陸の「発見」より500年余が経った。エル・ティオはその500年の民衆の苦しみと悲しみを「苦い思い」とともにその胸に秘めて、今日も鉱山と民衆を慈悲深く見守り続けている。
ポトシ鉱山は、往時の繁栄を示すスペイン人の豪華な邸宅や22ものキリスト教会、そして鉱山から採掘された膨大な銀を溶解、精錬し銀貨に鋳造した旧王立造幣局などと共に、1987年、「ポトシの市街」として世界文化遺産として登録された。
(笹尾典代:宗教学・ラテンアメリカ宗教文化論)