故宮:独裁皇帝の広大な居城(中華人民共和国)

2011年09月30日

現在の世界遺産としての名称は「北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群」。1987年に北京の故宮が世界遺産に登録されたあと、2004年に瀋陽のものが登録された。この記事では主に、圧倒的に有名な前者を紹介する。

故宮とは、昔の宮殿というほどの意味。一般に知られる北京の故宮とは、明(みん)王朝(1368-1644)と清(しん)王朝(1616-1912)の宮殿であった紫禁城(しきんじょう)を指す。現在の故宮の原型は、15世紀に明の永楽帝(えいらくてい)が現在の北京に遷都して造営したもので、継いで北京を首都とした清王朝もここを皇宮として復興、以後、清王朝が滅亡する1912年まで、政治の中枢であり続けた。内部の重要な見所について、簡単に見てみよう。

参観する者はまず、南北960m、東西760mという、余りの広さに驚くこととなる。かつての正門であった天安門を抜けて北上し、入場料を払って午門をくぐり、さらに太和門を抜けると、宏大な広場と太和殿が目に入る。太和殿は重要な儀式を挙行した場であり、故宮の顔ともいえる建物である。
さらに北上し、中和殿・保和殿を過ぎて乾清門をくぐると、皇帝一家の居住区である内廷である。その中心部の乾清宮は、皇帝が政務を見る場所として機能した。ひときわ目を引く玉座の上に掲げられた「正大光明」の扁額(写真)は、清王朝第5代皇帝の雍正帝(ようせいてい、在位1722-1735)が考案した「儲位密建(ちょいみっけん)」の法で有名である。彼は、後継者となる皇子の名を記した勅書を厳封した上で、この「正大光明」の扁額の裏に置き、自分の死後に皆で立ち会ってこれを開封し、次帝を立てるようにと定めた。皇太子が誰かをぎりぎりまで公開しないことにより、皇太子の堕落や、次帝をめぐるお家騒動を防止することを目的とした、実に巧みな制度である。
北京の故宮は、14世紀以降の中国の歴史の心臓部であり、数多くのドラマが展開された、歴史の生の現場である。明清の歴史故事に親しんだ上で訪問すると、より一層意義深い参観となるであろう。

 田中靖彦(中国史学史・中国地域文化論)

故宮