カナダ、アルバータ州ウォータートン・レイク国立公園とアメリカ合衆国、モンタナ州、グレイシャー国立公園の国境を跨ぐ世界自然遺産。平和の名とはうらはらに、南、アメリカ側、グレイシャー国立公園で最近まで訴訟が続いていた。その地を自らの大地として繁栄していた、先住民族ブラックフィートの子孫が合衆国政府からの不当な扱いの賠償を求めて戦ったからである。争いはアメリカ合衆国の西進によって狭められた先住民の地をさらに、国立公園の指定(1910年)が追い討ちをかけた20世紀初頭にまでさかのぼる。先住民が押し込められた居留地さえも、国立公園の名のもとに奪われていった歴史がこの遺産の背景にある。
3,000メートル級の山々が連なるこの地は、氷河で削られたその地形、湖沼の美しさから、当初「アメリカのアルプス」と称された地域であった。そこにそれを利用しようとする人々があらわれる。イエローストーン国立公園(世界遺産)、ヨセミテ国立公園(世界遺産)、グランド・キャニオン国立公園(世界遺産)がそうであったように、観光開発で富を得ようとする鉄道会社、ここではグレート・ノーザン鉄道である。しかし問題があった。それまでの国立公園がヨーロッパに無い景観を謳うことが出来たのとは異なり、「アメリカのアルプス」では、二番煎じだったからである。「スイスのアルプス」が本物であると思う20世紀初頭のアメリカ人を集客できなかった。そこで異なる戦略を採った。「手付かずの自然」を謳うことによって先住民を退去させたのではなく、積極的に、露骨に利用した。先住民がいる大自然こそがアメリカの自然、訪れるべき景観、しかも征服したばかりの自然を「安全に」体験できる醍醐味をその観光キャンペーンに謳ったのである。キャンペーン映像(写真は1920年ごろのもの)は痛ましい。そして観光ホテルでは日系移民がサービス業に従事していた。「アメリカのアルプス」体験は見事に生まれ変わった。先住民制圧と東洋支配を射程にいれたアメリカ独自の体験になったのである。
この過去が世界遺産に登録された今日も、観光遺産としてのキャンペーンの難しさ、守るべき自然遺産としての意識の低さ、知名度の低さを物語っていると思われる。石炭、石油、ガスの宝庫であることが今、この遺産を開発の危機に陥れているのが現状だからである。
杉山恵子(アメリカ社会史)