チチェン・イッツァは、メキシコ、ユカタン半島のサバンナ地帯に栄えた古代マヤ文明の代表的な都市遺跡である。チチェンはマヤ語で「泉のほとり」、イッツァは「魔術師<イッツァ族」を意味し、その名の通り、そこはかつてマヤ系イッツァ族によって巨大なセノーテ(石灰岩地表の陥没穴に地下水が貯まった天然の泉)を中心に築かれた都市であった。イッツァ族はこの都市を建設した後、7世紀頃に一度姿を消すが、その後10世紀初頭に、メキシコ中央高原の好戦的なトルテカ文明の影響を受けたイッツァ族末裔が再移住して再興した。よってこの遺跡は、遺跡南側の旧チチェン(5~7世紀)のエリアと、トルテカ・マヤ様式に彩られた北側の新チチェン(10~13世紀)の二つのエリアに分けられる。
6.5k㎡におよぶこの遺跡群の中でおそらく最も有名で、実際にひときわ目を引くのが、新チチェンにある「エル・カスティーリョ」(スペイン語で「城砦」の意)と呼ばれる、一辺55m高さ24mの9層からなる四角錐形の壮大な階層ピラミッドであろう。頂上部に最高神ククルカン(別名ケツァルコアトル、「羽毛の生えた蛇」の意)を祀る神殿を設けたこの建造物の空間的構造は、メソアメリカの伝統的宇宙論に基づいている。メソアメリカでは、世界は水平方向には中心と東西南北の四方位からなり、垂直方向には地上を挟んで9層の天空世界と地下世界が層をなし、天空の最上層には最高神の住処があると考えられていた。
さらに興味深いのは、このピラミッドが古代マヤ暦を体現する時間的構造を持ち合せていることである。四面に配された各91段の階段と最上階の1段を合計すると91×4+1=365段、また北面の9階層が真ん中で分断されて計18段、これらはマヤ太陽暦の1年(18ヶ月365日)を表現する。また、ピラミッド四面にある計52個の浮き彫りは、マヤ暦で宇宙の1大周期とされた52年を表わす。さらに、このピラミッドが実際に暦として機能していたであろう事実を、私たちは、春分と秋分の2日間の夕方にのみ、北側階段の側壁に巨大な蛇神ククルカンの胴体がくっきりと浮かび上がる「ククルカンの降臨」現象に見ることができる。
こうした光景が偶然の産物ではなく、マヤ文明の高度な天文学知識と建築技術によるものであることは言うまでもない。ちなみにマヤ太陽暦の一太陽年(平均365.2420日)は、現在私たちが使用しているグレゴリオ暦(平均365.2425日)と比較して、その真値(約365.24218987日)により近い。望遠鏡はもちろん、金属すら用いなかったマヤ文明におけるこうした高度な天文学の発達を支えたのは、数百万という膨大な数を簡潔に記すことができるマヤ数字と、ロング・カウントと呼ばれる古典期マヤの暦法に結実したマヤの深遠なる時間(歴史)概念の存在だった。
エル・カスティーリョを前にして、今、私たちは、自分たちのうちに無意識にも刷り込まれている世界のひとつの捉え方・思考の枠組みとしての「文明/未開」(=優/劣、主/従、合理/非合理、精神/物質、西洋 /非西洋、植民者 /被植民者)という近代植民地主義が作り上げた対概念への反省的再検討を迫られているのではないだろうか。
笹尾典代(宗教学・ラテンアメリカ宗教文化論)