2012年6月21日

「高麗大蔵経」と仏教文化の交流‐八萬大蔵経の納められた伽倻山海印寺(大韓民国)

2012年06月21日

凛とした空気の中、参道が山の中腹へと続く。軽く汗ばみ始めたなと感じながら、石段を登ると海印寺に辿りついた。海印寺は新羅の名僧、義湘が802年に加耶山中腹に開いたお寺である。元曉とともに新羅仏教の双璧をなす義湘は、唐に渡り華厳宗の第二祖智儼に学び、華厳宗を朝鮮に広めた。これとは対照的に元曉は新羅に止まり、新羅をも飛び越える普遍的境地を開拓したといわれる。中国と日本に国分寺はあるが、朝鮮には国分寺の存在が不思議と見られない。仏教学者の鎌田茂雄は、義湘が建てた、海印寺、梵魚寺、華厳寺などの華厳十刹がその機能を果たしているとみている。新羅に誕生した護国仏教は高麗時代に入ると僧兵を多く輩出し、文禄・慶長の秀吉の侵略時に活躍している。

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海印寺