阿部寛主演で映画化されて、漫画『テルマエ・ロマエ』(ヤマザキマリ)はますます人気である。主人公は浴場を専門とする技師ルシウスである。舞台はハドリアヌス帝時代(117~138)、ローマ市内だけで公設の大浴場が11、私設の小浴場が1000ほどあったというから、ルシウスはさぞかし忙しかったことであろう。ところが不思議なことに、ルシウスはしばしば2千年の時間を越えて現代にタイムスリップしてしまう。しかもなぜか場所は日本のさまざまな入浴施設と決まっている。日本もまた入浴文化が栄え、とりわけ温泉資源を活用している国である。ルシウスはここで実にさまざまなことを「発見」して、これをローマ帝国に戻って、ひとびとに伝える。物語の基本パターンは単純だが、二つの異なる時代と国を比較できるところが面白い。
当時の皇帝ハドリアヌスは、『テルマエ・ロマエ』に登場するだけあって、入浴好きであった。アエリウス・スパルティアヌスの「ハドリアヌスの生涯」には、「彼はしばしば公衆浴場を利用し、あらゆる人々といっしょに入浴した。浴場での彼の冗談は有名になった」と記されている。また、「公衆浴場の入浴に際しては、男女を別々とした」ともある。当時、混浴の習慣がある程度広まっていたことを推測させる。公衆浴場を好んだハドリアヌスではあったが、もちろん自邸にも入浴施設を持っていた。建築マニアのハドリアヌスはローマ東郊のティボリに「実に驚くべき別荘」を建てているが、そこには大小の浴場が設置されていた。
ハドリアヌスはまた、旅を愛した。「これまでのいかなる皇帝も、彼ほどに多くの土地を、かくも迅速に旅した者はいなかった」という。実際、ハドリアヌスはローマ帝国全土を視察した。当時「ブリタニア」と呼ばれたイギリスも訪れている。滞在中の西暦122年に総延長118キロにも及ぶ長城の建設を命じたが、完成した「ハドリアヌスの長城」は、今日もスコットランドとの境界沿いにあって、1987年には世界遺産に指定された。
ハドリアヌスは第14代皇帝であったが、10代遡った第4代はクラウディウス帝であった。紀元43年から翌年にかけてブリタニアに遠征し、属州化した。この時、ローマ兵たちによって温泉が発見され、入浴好きなローマ人たちによって浴場施設が建設されていった。町は「アクア・スリス」(「女神スリスの水」という意味)と名付けられ、源泉の場所には女神の神殿が建っていた。5世紀初めにローマ帝国がブリタニアを放棄すると、これら浴場施設も荒廃して、やがて地下に埋もれてしまった。これらのローマ遺跡が発見されるのは、1727年のことである。古代都市ポンペイでの遺跡発見が1748年であったから、20年ほど早い。
アクア・スリスはいつしかバースと名前を変えた。このバースで再び温泉資源が注目されるようになるのは、18世紀のことである。すでに17世紀後半に、温泉は健康に良いとされイングランド国王や王妃の訪れる所となっていたが、名誉革命によって国を追われたジェイムズ2世の娘アン女王の訪問が転機となった。アンは1702年に夫君ジョージ・オヴ・デンマークを伴って訪問し、翌年にも再訪している。これをきっかけに、バースは、人口3千ほどの地方都市から有数のリゾート地へと変貌していく。
ポンペイの発掘が刺激となって18世紀には古代ブームが起こっているが、その影響はバースの町並みにも現れた。なかでも、それぞれ円形と三日月型をした集合住宅「ザ・サーカス」と「ロイヤル・クレセント」は、今日もなお訪れる人々の目を楽しませている。建築家ジョン・ウッド親子の作品である。また、シェイクスピアの故郷ストラッフォード・アポン・エイヴォンの町を通ってきたエイヴォン川が流れていて、この川に架かる「パルトニー橋」の両脇には店が並ぶ。いずれも1770年代に完成しているが、その頃バースは温泉ブームの波に乗って、地方社交界の一大拠点となっていた。
高濱俊幸(イギリス思想史)