パリは、観光客の数が年間2800万人にもなる世界的な観光都市である。そのような都市が世界遺産であるといわれても、まあそうだろうという程度の感想しか抱かないのではないだろうか。しかし、その登録内容を見ると、パリの世界遺産登録までの道のりは、それほど平坦ではなかったことが推測できる。実際のところ、フランスにおける37箇所(2012年5月現在)の世界遺産のうち、パリの登録は17番目と中間くらいで、知名度がそれほど高くないものの方が先に登録されている。
ユネスコの公式ホームページをみると、世界遺産としてパリが評価されたポイントは2点ある。1. セーヌ川の両岸に傑作が連続して並んでいる。そこにはゴシック建造物の普及の参照点となるもの、ヨーロッパの首都の都市計画に影響を与えたもの、17世紀と18世紀の歴史的街区がある。2. 都市の西側のオスマンの都市計画の成果は、新世界の大都市建設に刺激を与えた。また19世紀から20世紀に重要性が大きかった万博の成果も含まれている。つまり、セーヌ川に沿って見ていくと、中世から20世紀初頭までのパリの歴史をたどることができ、またそれぞれが世界的な影響力を持ったものであったというのである。さすがは歴史の長い都市と思う一方、全体としての一貫性はなく、一切合財を盛り込んだという印象も否めない。登録基準を満たすために、効果的な情報を満載したようにも見える。
他方で、世界遺産に登録された区域をみると、それはセーヌ川に沿ったパリのごく一部にすぎないことも見て取れる。367haの登録範囲には、先の1の文章に書かれている歴史的街区マレ、あるいは2のオスマンの都市改造の代表的な成果であるオペラ通りや凱旋門周辺は含まれていない。セーヌ川の周辺であっても、国家的な保護をされているモニュメント以外のところは線引きの外となっている。世界遺産というタイトルはいいが、それによる規制は望まないという苦心の策であることを思わせる。
シャンゼリゼ通りやモンマルトルの丘など、パリにはより観光的な地区も多くある。世界遺産のパリには、そのような著名な地区が含まれておらず、さらには登録範囲も必ずしも説明と合致していない。この綱渡りの世界遺産登録をみると、「人類にとって普遍的な価値」という基準にあわせるための、フランス政府の非常な政治的努力が読み取れる。パリが世界遺産だといわれれば何となく納得する感覚とは裏腹のこの状況を、世界遺産の基準の問題と見るのか、フランスの政治性の問題と見るのか。世界遺産全体の状況と、フランスの政策をあわせて、より詳細に検討する必要があるだろう。
荒又美陽(フランス語社会圏)