ここ20年ほどで、19世紀から20世紀に作られた近代建築を保護する動きは非常に盛んになった。古代や中世の建造物の保護が19世紀にはじまったのに対し、新しい建造物はどんどん建て替えられる傾向にあったが、最近は20世紀に入ってから作られた建物でも、改築したり、修復したりして再利用することが増えてきた。日本では1993年に重要文化財の種別として「近代化遺産」というカテゴリーが設けられた。それは、「近代」という時代が、ある意味で過去のものと捉えられるようになったということでもある。
2012年9月
テルアヴィヴのホワイト・シティ―近代建築運動
2012年09月24日
モン・サン・ミシェルとその湾
2012年09月18日
海のなかに突然避雷針が飛び出したように、粛然と姿を現すモン・サン=ミシェル。フランス西北部のノルマンディー半島の付け根ちかくのモン・サン・ミッシェル湾の干潟にある。雄大な自然の中に圧倒的な存在感をもって現れる建造物は、数ある世界遺産のなかでもマチュ・ピチュと並び人々の心を捉えてやまない。
このモン・サン=ミシェルはフランス語で「聖ミカエルの山」を意味し、モンは山、サン=ミシェルは旧約聖書にその名が記され、守護聖人としても有名な大天使・ミカエルのフランス語読みである。
イスラーム社会における仏教・ヒンドゥー教の石造建築物
2012年09月10日
インドネシア中部ジャワ州にあるボロブドゥール寺院遺跡群とプランバナン寺院遺跡群は、ともに1991年に文化世界遺産に登録された。
ボロブドゥール寺院遺跡群は、ジョクジャカルタ特別州の州都ジョクジャカルタの北西約40kmにある大乗仏教の遺跡であり、ボロブドゥール寺院、ムンドゥッ寺院およびパオン寺院の三つで構成されるが、周辺には多くの仏教関係の遺跡が散在する。シャイレーンドラ朝の790年代に建設が始められ、830年ごろに増築も終わったとされている。その後は、当時インドネシアを統治していたイギリスのラッフルズ提督の命を受けた探検隊によって1814年に発見されるまで、1000年近くもの間、熱帯雨林の土の下に眠っていた。ボロブドゥール寺院は内部空間を持たない高さ約40mにも達するピラミッド状の石造建築物で、一番下の基壇は一辺約120m、第二層から第六層までは方形壇、その上の第七層から第九層までは円形壇という全体で九層の階段状の構造で、仏教の欲界・色界・無色界の三界を表現している。五層の方形壇にめぐらされて回廊の壁面には、1460面におよぶ釈迦誕生にかかわる仏教説話のレリーフが彫られている。さらに、方形壇の回廊の壁龕と円形壇上の釣鐘状のストゥーパ内部には1体ずつ、総計504体の仏像が安置されている。
アジアに息づく琉球・日本の中で閉塞する「沖縄」‐琉球王国のグスクおよび関連遺産群
2012年09月03日
日本の伝統的領土の中では、古代の曖昧なものを除いて、正式な「王国」は存在しない。そして、当時の「大和」の外に存在していた例外が琉球王国であり、1429年に尚巴志王の三つの勢力の統一によって成立し、1879年の日本政府による「琉球併合」により、尚泰王をもって450年の歴史に幕を下ろした。しかし、この世界遺産の構成資産の中核である「グシク」が栄えた「グシク時代」は、琉球王国の時代と同じではない。「古琉球」と呼ばれる時代に一致するが、それは12世紀に琉球諸島の住民が定住を始めた時代から、1609年に薩摩藩による琉球侵攻が行われた時代までを指すことが多い。9遺産の内、最も古い今帰仁グスクは13世紀の築城と言われ、1799年に完成された識名園を例外とすれば、1501年、1519年にそれぞれ建設された玉陵や園比屋武御嶽石門も、琉球王国で最も長く王位についた尚真王時代の遺跡である。