筆者は小学生のころ社会の授業で何度となく「北九州市の八幡製鉄所と冨岡の製糸場、この二つの工場が明治時代の日本を支えた殖産興業である」と先生から教えられました。子供なりの理解では、江戸時代を脱し近代明治政府の国策として、要するにヨーロッパ列強国と肩を並べるために、政府は国を挙げて近代産業に力を入れ製品を輸出して外貨獲得に必死になった、ということでしょう。力を入れていた輸出品は、日本茶と絹の生糸だったのです。やがて当時の今から考えれば劣悪な労働環境、いわゆる女工さんの出現と活躍、労働争議の勃発などの社会問題にも筆者は目が開かされてきました。富岡製糸場は厳密にはこの「世界遺産」のブログに載せるには、まだふさわしくありません、現在は世界文化遺産認可申請中だからでフライングと言えますが、認可の期待を込めてあえて載せたいと思います。