サンギラン初期人類遺跡は、ジャワを流れる大河ソロ川の上流域、中部ジャワ州のサンギラン地区にある。この地区一帯は、古代には海で、20万年前に土地の隆起が起こり、50万年~80万年前の堆積層が現れている。この堆積層の崩壊にともなって、ジャワ原人の化石とともにマンモスの牙や下顎、水牛や鹿の角などの動物化石、貝塚などの遺跡が出土している。
ジャワ原人は、1894年に、ソロ川中流域のトリニールにおいて、オランダ軍医のウジェーヌ・デュボワによってその化石が発見され、ピテカントロプス・エレクトゥス(直立猿人)と命名された。その後も1936年から1941年までの発掘作業によって、ドイツの人類学者のケーニッヒスワルトが、頭蓋骨、歯、大腿骨などの化石人骨を発見し、下顎骨と歯が巨大なため、メガントロプス・パレオジャバニクスと命名した。それ以降の発掘作業では、1969年に、地元の農夫によってジャワ原人の頭の形状が最もよく分かる頭骨が発見され、直立猿人の解明に大きく貢献した。しかし、2001年に発掘された頭蓋骨から、ジャワ原人は絶滅種であることが裏づけられた。
サンギラン周辺では、ジャワ原人が使った石器などの生活用具はほとんど出土していない。それは、ここ以外の場所で生活していたジャワ原人が洪水によって流されてサンギラン地区に堆積して化石になったためではないかと想定されているからである。
世界中で発見された人類化石のおよそ半分が、インドネシアのサンギラン地区で発掘されており、世界的にも人類の進化の過程を理解する上で最も貴重な場所の一つといえる。サンギランの中央の丘の上にはサンギラン博物館があり、この地で発見されたジャワ原人、ソロ人、さらにはマンモスの牙や下顎、水牛や鹿の角などの動物化石が展示されている。
中部ジャワ州から東ジャワ州に流れるソロ川は、度々大きな洪水を引き起す暴れ川であった。1970年代から日本のODA(政府開発援助)の支援によって、ソロ川の最上流域のウオノギリ地区に総貯水容量6億㎥のダムが建設され、洪水調節が図られるとともに、ダム下流域の2万haの土地が、一大水田地帯に変貌した。しかし、このダムの建設に伴って、ウオノギリ地区から数万人にものぼる人たちがスマトラやカリマンタンなどに移住せざるをえなくなった。まさしく開発の光と陰の象徴といえるダム建設である。
谷本 寿男(国際協力論)