待つことは信じること~アドベントのときを迎えて
2016年12月05日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美
キャンパスはアドベントに包まれて
11月27日からアドベントadvent の週に入り、チャペルや構内はアドベント色に彩られ始めました。
アドベントとは、「キリストの降誕を待ち望むクリスマスの準備期間」という意味です。クリスマスツリー点火式の礼拝で、キリスト教センターの宇野緑先生から「待つことは、信じることです」というメッセージをいただきました。
キリストの降誕を信じて待つ意味の解説から、広く私たちの暮らしの全般に及んでのメッセージに、いろいろなことが心に浮かんできました。
私たちの日々は、待つこと。でも、待つことができなくなった私たち
讃美歌263番「あら野のはてに」を歌いながら、ちょっと不謹慎で、宇野先生には叱られそうですが、"待てど暮らせど来ぬ人を 宵待ち草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな"の一節も心の中に浮かんでしまったり...。
大正浪漫を代表する画家・詩人、竹久夢二の詩歌を原詩とするこの抒情歌「宵待ち草」は、恋人を待つ苦しさを歌ったものですが、昔から私たちは何かを待つことに多くの時間を費やし、心を悩ませてきました。
ただ、昨今の私たちは「待つ」ことが苦手になっているように思います。携帯やスマホという便利な器具が普及したことが、待つ大切さを忘れさせているのではないかと思うことも、しばしばです。
待ち合わせの場所に着くとすぐに携帯やスマホで連絡をとって、相手の到着時間等を確認したりします。確認をしなければ待てなくなっているとも言えます。
子育てや教育の現場での話となると、待てなくなっている昨今の風潮には、いっそうの悩ましさを感じます。
「きちんと、はやく、まちがいなく」は、子育て中の母親の多くが幼いわが子に向ける思いとなって、結果的に子どもを追い詰めています。
失敗もいたずらも間違いもするのが子どもですが、「最近の子どもたちはあまりいたずらをしなくなっている」と、先日、お会いしたある中学校の先生がおっしゃっておられました。子どもたちがいたずらをしなくなったことを嘆いておられたその先生の感性の鋭さと温かさが、とても新鮮でほっとする思いがするほど、学校現場からも子どもたちがのびやかに成長する時間が奪われている昨今です。校則の縛りの厳しさや偏差値での評価などに子どもたちの息苦しさが増しています。
親や教師が求める「良い子像」を子どもに押し付け過ぎるということは、子どもの育つ力を信じて待つ力を私たち大人が失っていることに他ならないのではないかと思われてなりません。
在学生の感話から気づいた待つ教育の大切さ
子どもや生徒・学生が育つことを信じて待つことの大切さを改めて考えさせられたのは、歴史文化学科3年生の恩田柚香さんのチャペルアワーでの感話でした。
恩田さんの話は、これまで様々な場面で評価を受けて来た中で、いつしか、「何事も問題なくうまくできたとき=良い評価」という方程式が出来上がってしまったこと、そして、良い結果を出すために何をすればいいかということをまず念頭に置く習慣が身についてしまったと振り返るところから始まりました。
そのために、困っていることもなかなか人に言えなかった・見せられなかった恩田さんが大きく変わったのは、恵泉での体験があったからだと言います。
とりわけ、「生活園芸」では、友人と力を合わせて作物を育てていく過程の大切さを実感すると共に、その過程をきちんと見守り、評価してもらえたことが新鮮な経験であり、何よりの自信となったと言います。
自分にできないことや悩んでいることも他の人に打ち明けることできるようになってみると、多くの協力者を得ることができて、自分一人では到底達成できないような結果が得られる経験を重ねることができたとのことです。
恩田さんの感話「守られた日々の中で」は、大学のHPに掲載されていますので、詳細は是非、そちらをお読みいただきたいと思います。
「私たちはそれぞれ違ういいところ、輝くものを持っています。それがなにかを自覚することはとても難しいと思いますが、そこをきちんと見て、評価してくれる先生や友人たちが恵泉にはたくさんいます」
と言ってくれた恩田さんの言葉に、あせらずに信じて待つというアドベントの心を、クリスマスの季節だけでなく、四季を通してキャンパスに持ち続けたいと改めて思いました。
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