学長Blog★対談シリーズVol.5 この方と『生涯就業力』を語る

2017年02月20日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美

今回のゲストは、ジェンダー研究や男女平等にかかわる人間のメッカとでもいうべき国立女性教育会館の内海房子理事長です。

「対談シリーズ」

第5回ゲスト:内海房子氏

津田塾大学数学科卒業後、1971年にNECへ入社。ソフトウェア開発に関わり技術課長を経て人事部に異動し、人事・人材育成を担当、人事担当部長等を歴任して2005年NECラーニング株式会社社長に就任する。2011年7月から国立女性教育会館理事長。

独立行政法人 国立女性教育会館

企業界出身の理事長となって

---1977年に文科省の付属機関として設置されてから、今年で40年を迎える国立女性教育会館(以下ヌエック)ですが、ジェンダー領域の研究者にとって日本の中枢的機能を果たしている聖地です。日本初の女性のための教育会館として、わたしも学生を宿泊に連れていったり、ジェンダーのシンポジウムに参加したりとよく利用させていただき、歴代の館長・理事長*にはお世話になりました。
*独立行政法人化してから、役職名が館長から理事長になった内海理事長にとって、ヌエックはどのようなところですか?

これまで館長を務めてこられた方々は、ジェンダー教育、女性教育を専門とされてきた方々で、わたしはほとんどそんな勉強をすることなく、普通の会社勤めをしてきた者ですから、恐縮しながらやっております。
ヌエックも昔は利用できるのは女性オンリーでしたが、今は男女共同参画を推進する場所として、男性も利用できるようになりましたね。

---理事長を教育界からではなく企業界からお迎えしたことを知ったとき、ヌエックに新たな地平が開かれると思いました。企業人の感覚を取り入れて、なにか変化があるのではと期待したのです。ヌエックは文部科学省の管轄下にあることもあって、男女共同参画推進の取り組みに教育的な観点が前面にでることは当然なのですが、他方で経済界や企業人の視点が抜けてきたのではないかと思っておりましたので。内海さんが理事長になられてから、プログラムなどに随分と企業人の感覚を取り入れられたと感じますが、前職のことを伺わせていただけますか? 

NECへ1971年に入社しましたが、当時4年制大学で女性の就職活動は大変厳しい状況でした。就職活動で企業を回ると、4大卒女子にさせる仕事はない、短大卒にならあると言われました。
短大卒の就職率がよかったので、わざわざ短大を受ける人が多かった時代です。
ただ、理系出身は別だったのです。それならと思いまして、企業を回っての就職活動をしました。

10代から経済的自立を考えてきた

---理事長は津田塾大学の数学科ご出身、理系でいらっしゃいましたね。学生時代から就職についてどのようにお考えになっていらしたのですか。

実は、就職については10代の頃から考えていました。女性が家庭に入るという一種類の仕事しかできないことに疑問があって、経済的に自立したい、結婚などしなくても一人で生きていける力を身につけたいと思っていたのです。

---そうお考えになったのはなぜでしょう?

両親の影響かなと思います。女性ばかりのきょうだいで、周囲には「女ばかりで大変ね」などと言われたのが悔しかったこともあります。
わたしは長女で、一番下の妹はわたしと一回り違います。母は36歳のときの子でしたから、思い切って産んだのです。でも「また女の子だった」と泣いているんですよ。わたしはとても腹が立ちまして、男以上の女になってやる、と思いました。
あとは数学が大好きだったので、学校の先生になろうかなと考えていましたね。

---経済的な自立を考えたのは、長女で妹さんたちの面倒をみようという自負もおありだったのでしょうね。10代から就職を考えておられたということでしたが、高校は共学でしたか?

高校は都立三田高校でしたが、女子生徒は男子の3倍いてみんな優秀だったんです。理系クラスになると男女半々くらいにはなりましたが、それでも半分は女子がいましたし、理系に行くのは何の抵抗もありませんでした。女のくせにと言われることもなかったです。
両親が一生懸命育ててくれるのに、女の子だとお嫁に出ていってしまうのではあまりにもさびしい。一人くらいは自立した娘が一緒に残っていてもいいだろうと思ったんです。

---それで就職活動にも筋金が入っていらしたのですね。

活動してわかりましたが、理数系女子の場合は、コンピュータのプログラマーとかシステムエンジニアへの道が開かれていたのです。プログラミングが大好きだったわたしは、教職への道はやめて企業に就職することにしました。

変化めざましい業界で18年技術者として働く

---当時のプログラミングが大好きでいらしたとは、文系の私からはとても驚異的です! NECを選ばれたのはなぜですか?

実は、NECが第一志望だったわけではないのです。府中に住んでいて、歩いて通えるところに東芝とNECがありました。大学でのコンピュータの勉強は、トスバック(TOSBAC:東芝の自社製コンピュータ)を使っていました。ですから本当は東芝を希望していたのですが、就職課に相談に行ったら、プログラミングの仕事のできる研究所は川崎にあって、府中にある東芝はエレベータを開発しているところだというんです。一方、NECのほうは、SE部隊は都心に移ったけれども、ハードウェアのほかソフトウェア開発事業も府中でやっている、と。それで、勉強してきたコンピュータとは違うけれども、NECに就職することに決めました。ソフトウェア開発に18年携わりました。

---18年の間に、コンピュータも随分と変化していったことでしょう?

変化はめざましかったですね。パソコンなんてできて、本当にびっくりしました。
最初の頃は少人数での仕事でしたが、開発需要が高まってきてどんどん人が増えてきました。

---職場は、はじめは男性のほうが多かったのですか?

はじめは1000人規模の事業部に配属されて、その中で女性技術者はわたし一人でした。その次にソフトウェア開発本部の100人くらいの部に異動になりました。1980年代から女性技術者を大量に採用して、その部にまとめて配属、そこへわたしが異動して一緒に仕事をしました。

同期女性社員30人、定年まで勤めたのは3人

---1000分の1の、まさに紅一点というスタートだったのですね。
そのような環境の中で内海さんは加速度的に出世されたように見えますが、働く上での気遣いとか、何か大事にされてきたことがありますでしょうか。

加速度的に、というのは、自分ではあまりそんな意識はないのです。また、たしかにはじめの配属先は、女性はわたし一人でしたが、入社した1971年は大卒女子が30人採用されたのです。府中工場全体では12人くらい配属になったんですが、7~8年経ったらわたし1人になりましたね。会社全体での30人のうち定年まで勤めた同期は3人いました。

---その同期の3人の方々には、なにか共通点がありますか?

1人はお茶の水女子大学大学院の化学を出た人で、わたしなどより何倍も職業意識にあふれていたんです。生物が大好きだったのに、それでは就職先がないからといって化学を専攻し、男性と働くなら学部卒では戦えないからといって修士を出て就職してきたんですよ。いろいろなことを教えていただいたすばらしい人です。年も2つ上でしたから、先に主任になり課長になりと進みました。職業意識がほんとうに高くて、男性との賃金格差は入社年のベースアップの時点から始まっていた、と言って、給与明細を持ってすぐに労働組合に乗り込むような人でしたね。二人の子育てをしながら働いて、いつも走っていたような感じの人です。また、
その人は家事もユニークで、旦那さんは洗濯、食器洗いなど「洗う」仕事担当、彼女は「作る」仕事担当、ときっちりシェアしてやっていました。流しに洗い物がいっぱいたまっていても、彼女は絶対に洗わず、お風呂場でお米を研いだなんて話も聞きましたよ。

家の近くに就職したのは長く勤めるため

---まあ、男女平等を地でいくような方ですね。そのような女性に驚かれていた理事長ご自身は、どんな方だったんでしょう? もっとやわらかく自然体で働かれたということでしょうか?

わたしはもともと、結婚・子育てするのも当たり前、仕事をすることも当たり前、なぜわざわざ「両立」というのか、両方とも人間として当たり前にやるべきこと、と思っていたのです。ただ、仕事については、学校の先生になればロールモデルはたくさんいるから何とかなると思いましたが、企業に勤めるとなるとほとんど長く働いている人がいません。だから、長く働くためにも、とにかく家の近くの会社を選ぶことにしたわけです。歩いて行けるということも良いことですし、親が近くにいたら子どもが生まれたときには預けられると思ったのです。

---就職の段階から長く働くという継続性を考えていらしたのですね。では、ご結婚されたお相手もそれを応援してくれるような方を選んで、ということでしょうか。

連れ合いは高校の先輩で、女性が働くことに抵抗のない人でもあり、結婚しても自分の身の回りのことは自分でやるからいいと、妻がやるべきとは思っていなかったようですね。
せっかく自分の実家近くの企業に勤めたのに、結婚して遠くに行くつもりはまったくありませんでした。ですから、結婚してからは実家と会社の間に部屋を借りて住みまして、すぐに子どもが生まれたので、実家に預けました。

女性たちは頼もしくなってきている!

---実に自然体で道を切り拓いてこられたように見えますが、今の若い世代をどうごらんになっておられますか?

昔に比べたら頼もしくなったのではないでしょうか。堂々としていると思います。私などは男性陣の中で小さくなっていましたけれども、今の若い人たちは言いたいことははっきり言いますから。

---年代はもっと上になりますが、やはり女性のために戦って道を開いてこられた樋口恵子さんは、バトンを渡そうと振り返ると、それを受け取るために差しのべられてくる手がないとおっしゃっておられましたが、そんなことはお感じになってこられませんでしたか? 企業では違うのでしょうか。

そうですね。企業では後に続いてきてくれていると思いますね。女性たちは頼もしくなって後に続いてきてくれているので、わたしもがんばらなくてはと思います。
NECでは1985年の男女雇用機会均等法施行の5年も前から、技術系の女性社員を増やしてきていました。均等法施行の年からは事務系の女性社員も採用していましたし、当時としては進んでいたと思います。今では女性の部長も100人を超えていますが、ただ、取締役では外部から呼んだ方で女性が1名いるだけ、生え抜きの女性取締役や執行役員はまだいません。土台はもう充分にできていると思うのですが......。

長期的視野での女性社員育成計画が必要!

---それは会社の組織の問題でしょうか、それとも女性側のモチベーションなどの問題でしょうか?

女性も男性と同様の管理職登用試験を経るわけですから、モチベーションはクリアしています。会社側の英断が必要なのだと思います。ただ、同期の男性の中で執行役員や取締役になれるのも2人か3人ですから、男性であってもなかなかなれないわけです。難しいこととは思いますが、女性が1人くらいはいてもいいのに、と思います。
人事部門は、執行役員に登用するにはいろいろなところを経験させないと、と言うのですが、女性をそのように育ててこなかったということですね。長い目で見た育成計画にそって女性を育てようという意識を、各職場に作る必要があります。事業部長にその考えがないと、部下にまで浸透しません。

後進の女性たちの活躍は、自分から会社への恩返し

---そんなお話を伺って合点のいくことがあります。内海さんがヌエックで理事長を務められるようになってから、プログラムが変わりましたよね。それまでは女性のみ対象というのがほとんどでしたが、企業人や男性をターゲットにしたジェンダープログラムなど、経済界の方を巻きこむプログラムを立ち上げてこられたようにお見受けしています。単に企業人だからというだけでなく、働く女性の壁、悲哀のようなものを実感しながらプログラムを作られたのだ、と今、お話をうかがって理解できました。
内海さんのお話に感銘を受けるのは、とかく紅一点で働いてきた人ほど、女性の後輩を育てないという通説があります。自分が紅一点でいた大変さに苦しんだ半面、特筆した存在でもいられたわけですから。その点、内海さんは女性の後輩の活躍を強く主張されていらっしゃいます。

わたしはNEC本体では執行役員になれませんでしたが、子会社の執行役員になったり社長になったりすることができました。
特に、最後6年間はNECラーニングという子会社で社長を務めさせていただいたおかげで、当時内閣府男女共同参画局長だった板東久美子さんにもお会いできて、今こうして男女共同参画に取り組むことができて、とても感謝しています。会社には恩返しをしなくてはと思っています。それは後に続く女性たちの活躍かなと。

世の中の変化にあわせて事業を広げる

---ヌエックは、企業人の目線から見て何か変えなければと気付いたことがおありですか?

「国立女性教育会館の在り方に関する検討会」(以下在り方検討会)で、大日向先生からヌエックはカルチャーセンターではないのよ、と言われたことがありました。自分が思っていたこととまさしく合致していることでした。前任者が続けてこられたことはやめづらいものですが、大日向先生の名前もお借りして思いきって全部やめさせていただきました。
あの頃は宿泊率を上げるために、集客できそうな美容・健康とかのカルチャー講座のようなものを大学などと連携してやっていましたね。それはそれで良い内容なのですが、年に10回くらい開催して、担当者も年中それにかかりっきりで大変でしたから、ここが本来やるべきことは何だろうか?と考えていったのです。
また、これも在り方検討会で、儲からない仕事は社会から要求されていない、社会のニーズに合致しているなら残るとおっしゃっていた方がいましたね。同感です。ヌエックはそれまで企業人をシャットアウトしていましたが、企業向けの研修を取り入れることにしたのです。働く女性は厚生労働省管轄、みたいなセクショナリズムがあったようです。でも、世の中は変化しているのだから、それにあわせて事業を広げていくために自分は来たのだからということをスタッフにも伝えました。その後、在り方検討会からも事業対象を広げていくようにという結論をいただきましたので、その年のうちに年度計画にはなかった第1回目の企業向け研修会を開催しました。少し実行が早すぎると思われるかもしれませんが、実は下準備もしていました。なにしろ着任してから1年経ってしまっていたものですから。

---よく持論としておっしゃっている3つのC、Chance Change Challengeにつながることでしょうか。

そうですね。Chance、やっぱりタイミングってありますね。

仕事を持つことはすばらしいこと

---経済界で磨いた感覚、力を教育界に持ってきてくださったことを改めて実感出来るお話ですね。
ところで、今恵泉で打ち出している「生涯就業力」は、就職ももちろん大事ですが、結婚、子育て、介護などのライフイベントを超えて、どんなときでも経済的自立・精神的自立を忘れずに、社会や地域に尽くす力を育てたい、それが女性活躍の「基礎力」だと思っています。本学園の宗雪雅幸理事長は、「社会人基礎力」として、"正直で礼儀正しい"こと、"仕事が早くて正確"なこと、"改善に向けて、考え、努めること"と言っています。3つのCに通じるとも思いますが、いかがでしょう?

「生涯就業力」、学生さんに響く言葉ではないでしょうか。
若い学生の皆さんには、仕事を持つことはすばらしいことだと思ってほしいです。経済力を持つことにつながりますし、それ以上に自分にとっての軸になるものを作れるのではと思っています。でも、最近の若い方が意外と専業主婦志向だったりします。生涯仕事を続けるというイメージを持ちにくいのかもしれませんね。

「仕事」と「結婚」、両方とも当たり前

---理事長が就職活動をなさっていた4年制大卒の女子は不要などと言われていた時代に比べると、企業の女性登用体制もずいぶんと変わってきたと思うのですが、女性側の実際の意識というのはどのようなものになっていると思われますか?

世の中が平和になって満たされて、そんな苦労をしなくてもいい、と考えているのかもしれない、と思います。ただ、楽なほうに流れていくと人に頼るということになりますが、それは何かあったときに危険だということに気づいてほしいのです。
わたしたちも、先生のおっしゃるような「生涯就業力」を教えたいという思いで、『キャリアを考えることは人生を考えること』というキャリア形成セミナーを企画しました。
学生さんが意外と、結婚か仕事かという二者択一みたいなことを言うので、驚きます。結婚も仕事も両方当たり前だということを伝えたいと思います。

「働く前」と「働いてから」、意識も変化する

---仕事も家庭を持つことも、両方人として当たり前だというお考え、ほんとう同感です。
わたしの好きな言葉に、フロイトの「大人の条件は、愛することと働くこと」というのがあります。人を愛すること。そして、健康であればということでしょうが、働くことは社会の役にたつことです。その二つを無理なく、できたらと思うのですが。若い世代がしり込みをしがちなのは、もしかしたら女性が働くというと、あまりにも髪ふり乱してがむしゃらに頑張るというイメージが今なお強くて、自分には無理と思ってしまうのかもしれませんね。
理事長のように自然体にやってきたモデルを示していけたらいいのでしょうが。

それほど自然体ということもないんです。子どもを一人生みましたが、二人目を生めばよかった、保育園に預けて働けばよかった、と思ったりしましたから。必ずしもあたりまえの自然のことばかりではなくて、あきらめるとういことも含まれています。
でも、わたしのあとの10歳下のひとたちは、子どもを二人、三人生んで働いて部長にまでなって、それはとても頼もしくうれしいことです。専業主婦がいいという若い人たちには、そういう人たちを見てもらいたいですね。
でも、1980年代の入社面接では、「何年くらい働けるのか」なんてことを聞いていたらしいです。「5年くらいかな」と答えていた人が、10年、20年と働き続けたりしますから、若い頃の意識と働いてからの意識は変わってきますね。もしかしたら、あまり心配しなくてもいいのかもしれません。
まずは仕事を楽しむ、仕事をもつことのよさ、ありがたさをかみしめる、ということが大事かなと思います。

---そうですね。人生は長いです。価値観や考えかたも変わりますね。生涯就業力といっても、最初からキャリアを目指すわけでなくて、はじめは専業主婦志向であってもいいと思うのです。途中で気づいたときに、人生もう一度軌道修正できる、やり直しや新しいことにチャレンジできればと思います。まさに、Chance, Challenge, Changeを目指した、多様な女性の生き方ができたらと思います。
その意味で、女性の生き方や男女共同参画の在り方の検討・発信拠点としてのヌエックの存在価値はほんとうに大きいと思います。すばらしいシンポジウムをつぎつぎと企画して下さっていますし。もっとも芸能人のコンサートみたいに、ものすごい集客があるわけではなくても、教育って地道なものですよね。

そうですね。わたしたちのキャリア形成セミナーも最初のころは参加者が10人と少なかったのですが、回を重ねるごとに20人、30人と少しずつ増えています。セミナーにひとりで参加する方が多いのですが、研修が終わるころには仲良くなって帰りにはLINEに登録しあって、これで意見交換しようねと帰っているんですよ。

自信を持って判断できる力は学生時代に身につけられる。

---そうした小さな地道な取り組みが、あるとき満杯になったバケツがあふれだすみたいに世の中に広がっていくのかもしれません。
最後に、なにか若い世代にお伝えになりたいことがありましたら、ぜひお聞かせください。

学生さんが就職して働き始めたときは、どんな場所に配属になるかわかりません。初めての経験は大変だと思います。でも、なんか変だなと感じる感覚は持ってほしいです。
18年続けた技術職から人事部に移って女性の活用に取り組んだ最初に、女性社員の意識調査をおこないました。そしたら、用紙の余白にたくさんの意見が書かれているんです。
新入社員だから仕方がない? 女性だからこんな目に? 自分だけなの?といったようなことなのですが、なんか変だなと思っても、新入社員だからかな?とか、みんなそういうものなのかな、と判断がつかないことが多いんですね。
「わたしはこれでいいのだろうか」と悩んだときに何も言えなかったら、結局やめてしまうと思います。なにかおかしいと思ったら、それを発信する・上司に伝える・誰かに相談するという感覚を身につけてほしいですね。
それには自分自身を信じることです。自分を信じるためには、学生時代に精一杯なにかに打ち込むこと。一生懸命勉強したとかそういう自信は、未知の世界に置かれても判断できる力になります。自分が道を選択するときに、きちんとした判断ができるような人間になってほしいと願っています。その力は学生時代に培われるものだと思います。

---まさに女性が生涯就業力」を磨き続けるうえでなによりの大切なメッセージをいただけた思いです。本日は本当にありがとうございました。