卒業式・学位授与式 式辞 2017/3/17

2017年03月20日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美

学長 大日向雅美

本日、ここに学士、修士の学位を取得し、卒業式・学位授与式を迎えられた皆様に心からのお祝いを申し上げます。

またご家族・保証人の方々のお慶びもいかばかりかと存じます。この日に至るまでお嬢様の成長を見守り、支えてこられたご労苦に教職員を代表して敬意と深い感謝の意を表したいと思います。

さて卒業証書・学位記を手にされた皆様は今、これまでの学生生活を振り返ると共に、未来に向けてさまざまな思いを抱いていらっしゃることでしょう。

男女共同参画の実現を期して幕を開けた21世紀もすでに20年近い歳月を重ね、各方面で女性活躍が言われる時代を迎えております。
皆様のこれからの日々が、女性として満たされた人生であってほしいと切に願います。

しかし、日本社会の現実は必ずしも女性が生きやすい社会になっていないという事実も、残念ながら今、改めてお伝えしておかなくてはなりません。

昨年、開催された世界経済フォーラムで発表されたジェンダーギャップ指数では、日本は世界144カ国の中で111位という低い位置づけでした。
今なお、女性の人生の行く手にさまざまな壁が立ちはだかっていることを、この学び舎を巣立とうとしている皆様にお伝えしなくてはならないことに胸痛む思いでおります。

しかしながら、どんなに壁は厚く高くそびえていようとも、壁は乗り越えるためにあると考えたいというのが、これまでの長い人生を生きてきた私の信条でもあります。
そして、今こそ、女性たちがその壁を乗り越えるときです。

なぜなら時代は動いているからです。
一昨年の8月には「女性活躍推進法」が、さらに同年の4月に遡れば、女性の人生に深いかかわりを持つ子育てを社会の皆で応援しようという「子ども・子育て支援新制度」も成立しています。
女性の人生を支える法制度や施策は着実に整えられつつあります。
課題は山積しつつも、女性が生きやすい社会の構築に向けてベクトルは確かに定められつつある今だからこそ、女性自身が立ち上がるときです。
誰かに言われるまでもなく、真の活躍に向けて人生を歩み続けようとする強い意志と力を女性たちが持つときです。

これから皆様が生きる時代は、これまでにない大きな変化が予想されています。
社会に出て働くことが期待されているその労働市場に関してみれば、会社や事業体の寿命が個人の労働可能寿命よりも短くなる時代に突入しつつあると言われています。

そうとなれば、働く人は一生の間でいくつもの異なる分野で異なる能力を発揮することが求められるという、歴史上初めての現象に直面することでしょう。転職という岐路に立たされたり、その都度、職務遂行に必要な特定の知識・技能を追加修得したりすることが必要となります。

しかし、このことは女性にとって不利なことばかりではありません。
これまで女性たちは結婚・子育て・介護などに直面し、その都度、人生設計を変える局面にしばしば遭遇してきました。
必ずしも一直線とは言えない人生を生きてきた女性にとって、これからの変動の大きな時代はけっして未知の世界ではありません。

岐路に立って臆することなく挑戦する前向きの志と、それを支える動機・価値観・信念をいっそう固めるべき時が今なのです。
しかも、それをけっして一人でこなすのではない。むしろ周囲の支援を得ながら、周囲の人もまたその人らしく生きられることを心がける協調性が、今以上に求められる時代になることでしょう。

恵泉の卒業生の皆様は、すでにそうした時代をしなやかに、巧みに乗り越える力、少なくともその力の基礎となるものを、恵泉での学びを通して修得されていることに、どうか自信を持っていただきたいと思います。

恵泉女学園大学の学びは、人文社会科学領域の学びを主とするリベラルアーツです。女性活躍というと、とかく理数系教育が重視される今日ですが、女性活躍には人文社会科学系の学びの意義にこそ、もっと光が当てられる必要があると私は考えます。
人文社会科学は理数系に比べて「明快な正解」が少なく、成果に即効性を求めにくい学びでもあります。
それだけに、あきらめずに考え続け、けっして独善に陥ることなく、しかし、自分らしい解を模索し続ける力の育成、そのための他者との共生の力の育成を、恵泉の教育は目指してきました。

このようにお話をしていて、私は昨年の恵泉祭のテーマ「百花繚乱」を思い出しております。この多摩キャンパスに集う学生一人ひとりの姿を「百花繚乱」と表現した学生の皆さんのセンスのすばらしさに感銘を覚えました。

「百花繚乱」はけっして一色の美しさではありません。色も形もそれぞれに異なる花が、自分をしっかり主張している美しさです。それでいて他の花の美しさを邪魔したり消したりはしていない。互いの違いを認め、それを否定することなく尊重しあい、周囲を明るくする美しさが、恵泉の学生の美しさです。

また、卒業生の皆様は卒業演習で恵泉蓼科ガーデンを訪れ、散策と自然との対話を通して自分を見つめる黙想の時を持たれました。学園創立者河井道先生と恵泉にゆかりの方々の話に耳を傾ける時もお持ちになりました。そうして綴った皆様のレポートの一つひとつを私は大切に読みました。
どれも大変すばらしいものでしたが、その中から二つをご紹介いたしましょう。

  • 恵泉蓼科ガーデンの花たちは、どれも自分を主張しすぎない程度に、それでも主張していて、どれものびのびと、完璧に咲いていなくても、とても堂々と咲いているように見えた。この世に存在するもの全てに意味があることを感じた。
  • 私は今まで自分に力がないからこうして悩み、自問自答を繰り返すのだとばかり考えていた。しかし、それは違っていた。将来の決めごとに不安がつきものなのは、これから私が開拓していく道は誰も知らない道だからである。今まで誰も通ったことがない、私しか通らない道を歩んでいくからである。前例がなく、どこに落とし穴があるかもわからない、自分自身が作っていく道を歩んでいく。だからこそ警戒するし、だからこそ面白い。一人ひとり違う道を歩んでいく。どこかで互いの道がつながることはあっても、みんな同じ道からくることはあり得ない。「恵泉スピリット」をいつも心に携えながら、自身が選んだ道を胸を張って進んでいきたい。

卒業式での式辞は、とかく歴史上の人物や偉人の言葉などが引用されます。
しかし、今日、私は歴史上の人物でも偉人でもなく、このキャンパスで共に学んで下さった皆様が、恵泉での学びから得た思いをご自身の言葉で表現されたもので式辞を贈ることができることを思い、恵泉女学園大学の学長としての誇りと喜びに満たされています。

皆様の前には多くの時間と広い世界が待っています。どうか女性活躍の時代を存分に生きていただきたい。
表面的なきらびやかさや華やかな活躍だけに目を奪われてはなりません。
私たちの日常は、毎日同じことの繰り返しで平凡に見えること、時には無意味に思える労苦の積み重ねも少なくありません。
そうであればこそ「恵泉スピリット」を胸に刻んで生きていく大切さを、そして、それが真の女性活躍となることを思います。

皆様のご活躍とお幸せを心から祈って、式辞の言葉とさせていただきます。