チャペルに素敵な歌声と笑顔が

2017年05月15日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美

多摩キャンパスの緑が日ごとに濃さを増しています。そんな今日この頃、チャペルの礼拝のひと時に、さわやかな薫風にもまさる素敵なメッセージと歌声が届けられました。
「和顔愛語」と題した岩佐玲子先生の感話です。

岩佐先生は1991年~2011年まで、教職課程の教員として恵泉女学園大学に勤務されましたが、2011年に退職され、この春から再び教職課程に非常勤の教員として戻ってきてくださいました。
 一度、恵泉を退職されてしばらくご家庭に入りながら、地域の活動などをなさっていらしたこの6年間の中で、先生が得られた何よりも大切なもの、それが「和顔愛語」だったとのことです。

「和顔愛語」とは、穏やかな笑顔と思いやりをもって人に接するという「大無量寿経」の教えです。たとえ財産などがなくてもできる七つの布施(無財(むざい)の七布施)の一つであるという説明から始められた岩佐先生ですが、なぜこの言葉を大切にしていらっしゃるのでしょうか。
先生が恵泉を退職された年があの3.11が起きたときでした。ご郷里の東北に帰られて、地域の方々に何かしたいと考えられた岩佐先生がなさったのが、被災された方々に歌を届けることでした。

岩佐先生といえば、歌がお上手なことで在職中から知られた方で、すでに各地でコンサート活動もなさっていらっしゃいましたが、退職されてから元宝塚歌劇団の鳳蘭さんにご指導をお受けになり、特に先生がお好きな"マイウェイ"のレッスンに励まれたとのことです。この"マイウェイ"を人前で歌うことを許可されるまでに2年の月日が経ったそうですが、そんなある日、東北のホスピスで、入院している方々に歌を聴いていただくコンサートを開催することになったそうです。
でも、ホスピスで歌うには"マイウェイ"はふさわしくないですね・・とおっしゃって、その一節をうたってくださったのです。

やがて私も この世を去るだろう
長い年月(としつき)私は幸せに
この旅路を 今日まで 生きて来た
いつも 私のやりかたで
心残りも 少しはあるけれど
人がしなければならないことならば
できる限りの 力を出してきた
いつも 私のやりかたで

(詞:岩谷時子訳)

岩佐玲子先生(ボーカル&ギター)と靍岡光徳氏(ギター)のユニット、☆アルビレオ☆

その日は季節の歌をいくつか選んで歌い終えたとき、少し先の病室にいたナース長から、是非、病室に来て歌ってほしいとの依頼が届いたとのことです。すぐにその病室に行くと、そこには60代の男性がベッドに横たわっていらしたそうです。その男性からのリクエストが、何と"マイウェイ"だったとのことです。痛みに耐えて起き上がることもままならない状態でいらしたその方が、岩佐先生の"マイウェイ"をお聞きになっているうちに、次第に表情が和らいでいったそうです。最後はベッドから起き上がりたいとの意思を示されて、周りの方々に助けられて起き上がり、先生の手を握りしめながら、"ありがとう。(こんな気持ちは)久しぶりです"と何とも言えないほどに柔らかな笑顔を向けてくださったとのことです。わずか3分余りの出来事だったそうですが、"マイウェイ"のレッスンに励んだ2年間は、この時のためにあったのだと思わされたとのことでした。
翌日、その男性は天に召されていったとのことです。前日、岩佐先生に向けてくださった柔らかな笑顔と"ありがとう"の言葉は今も先生の胸の奥深くに刻まれて、支えとなっているとのことです。

昨年昇天された先生のご尊父さまも、最後のメッセージが「笑顔でいることに努力しなさい」だったとのエピソードを添えられながら、"笑顔ほど人を励まし、幸せにするものはありません。でも、楽しいから私たちは笑うのではありません。笑顔をつくることで、自分が、そして周囲が楽しく、幸せになれるのではないでしょうか"とおっしゃって、こぼれんばかりの素敵な笑顔を参列者に贈ってくださいました。この日一日、私も幸せな気持ちに包まれて過ごしました。