「置かれた場所で咲きなさい」とは言えない
2017年06月05日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美
スプリング・フェスティバルでの講演を終えて
5月27日に開催されたスプリング・フェスティバルは晴天に恵まれて、盛況のうちに終えることができました。地域の方々にもたくさんご来場いただきましたことを感謝申し上げます。
この日、私はキリスト教センター企画の講演をチャペルでさせていただきました。
演題は「野の花のように しなやかに したたかに(強かに)~恵泉の教育と女性の生き方」でした。70分間の講演の詳細は長くなりますので、また何かの折にでもご報告させていただければと思いますが、なぜこの演題だったのか、またこの演題をめぐって考えたことを、少しだけここに書かせていただきます。
なぜ「野の花のように~」の演題?
野の花といえば咲く場所を選ばず、与えられた場所で咲く花です。そんな野の花のように生きるという教えがカソリックのシスターがお書きになってベストセラーになった『置かれた場所で咲きなさい』にも綴られています。胸打つ言葉がたくさんある、大変すばらしい本です。
ただ、私は若い女性たちに「置かれた場所で咲きなさい」と伝えるには躊躇する思いがあります。女性たちがこれまで、どんな場所に置かれてきたかを思い、今なお続く厳しい現状を思うからです 。
昨年、開催された世界経済フォーラムで発表されたジェンダーギャップ指数(各国における男女格差を測る指数 経済・教育・政治・保健の4分野のデータ)では、日本は世界144カ国の中で111位という低い位置づけでした。
これまでの女性施策をふりかえってみれば、第34回国連総会(1979年)での女性差別撤廃条約の採択(1979年)・発効(1981年)、日本の条約締結(1985年)に始まって、男女雇用機会均等法の成立(1985年)、「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律(女性活躍推進法)」(2015年)等々と、先人たちのたゆまぬ努力によって、随分と道が整備されてきた感はあります。それでもなお、道半ばという実態を直視しなくてはならないのではないでしょうか。
河井道先生の言葉の厳しさとやさしさ
そんな思いを拭えない私が「野の花のように生きる」と題してお話するときは、恵泉女学園創立者河井道先生のお言葉を思い出すときです。
河井道先生は、学生たちに向けてこう言われました。
「まっすぐな狭い道、人々が踏みならした道を行くことに満足してはならない」
「汝の光を輝かせ」
河井先生の言葉は厳しいと思います。
置かれた場所を唯唯諾諾と受け入れろと言われたのではありません。
自分にふさわしい場所を懸命に探し求めようとする志の大切さを諭されました。
しかも、それは自分のためだけではなく、周囲を輝かせるために、と言われたのです。厳しい道のりで、もがき苦しみ悩みことも、盛り込んでおっしゃっておられたのではないでしょうか。しかも、それに女性は堪えうるという信頼があったのだと思います。
私が思う「野の花のような人生」とはこの河井先生のお言葉のような生き方です。
寒さや厳しい環境ににあってもくじけることなく、そこに咲くだけで見るものを和ませる美しい野の花のような生き方。
この河井先生の理念を可能とする教育体制の構築が、女性活躍促進が言われている今こそ、女子教育に求められていることを思います。生涯にわたって自分らしく生きる希望を持ち、目標を探し続け、しなやかに、強(したた)かに生きる力、すなわち「生涯就業力」の育成を、恵泉女学園大学が女子大の使命として掲げている理由も、ここにあるのです。