恵泉の図書館に憩う&行こう
2018年05月21日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美
多摩キャンパスは今、新緑にむせぶような美しい季節を迎えています。木立に囲まれた図書館は私の大のお気に入りスポットです。30年前、恵泉に勤務することが決まって最初に訪れたのもこの図書館でした。
久しぶりに図書館を訪れてみました。
入口には、「恵泉女学園創立者河井道(1877-1953)の蔵書とスクラップ」のディスプレイが。新入生を迎えたこの季節の特設コーナーなのかと思います。そして、その隣には辻永著『萬花図鑑』全8巻が展示されていました。こちらは卒業生の中村孝子さん(園芸科18回)が「花と平和のミュージアム」に寄贈してくれたもので、中村さんの母方の御祖父様からお母様へ、そして、中村さんへと80年以上もの間、大切に受け渡されてきた本とのことです。ミュージアムの「たからもの」となった記念のディスプレイでした*。
河井道制作1904年頃
(学園史料室所蔵)
図書館所蔵品
(学園史料室所蔵)
(花と平和のミュージアム所蔵)
*『萬花図鑑』は全800種余りの花の彩色画が、春夏秋冬の順に各巻でまとめられています。収録作品は洋画家辻永(つじ ひさし)が明治時代の少年期より30年間描きためた千数百の花の写生作品の中から選ばれ中国、インド、ヨーロッパで写生された作品も含まれています。各巻末の牧野富太郎博士らの校訂による解説編により花の学名、花が写生された制作年月日もわかります。装丁は辻の恩師の岡田三郎助と同期の和田三造による革背表紙の精緻なものです。
辻永(1884-1974)は明治37(1904)年白馬会の作品展に初入選。渡欧(1920)帰国後は風景画を描きましたが、植物、草花に対する関心も強く、『萬花図鑑』『萬花譜』(1955-57)を刊行しました。昭和34年(1959)文化功労者となりました。
中に入ってカウンター近くに行ったところで目に入ったのは「アレキサンドレイア」*です。
*「アレキサンドレイア」は1990年から発行している恵泉女学園大学の図書館報です。紀元前300年頃、プトレマイオス朝のファラオ、プトレマイオス1世によってエジプトのアレクサンドリア(ギリシャ語でアレキサンドレイア)に、 世界中の文献を収集することを目的として建設された、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の殿堂とも言われている図書館の名前をとったものです(ウィキペディア参照)。
最新号(№48)は「特集 悩んだらこれを読め! 架空人生相談」。学生の悩みに先生が答える想定問答集です。
中でも目をひいたのは、「Q:他の友人にくらべて自分はこれが違う、というものが実感できません。こんな気持ちが変わる本はありますか?」に対して、回答者の斉藤小百合先生(国際社会学科)が推薦した、『人が神にならないために』(コイノニア社、2003年)です。
著者の荒井献先生は、日本を代表する聖書学者として知られ、1992年~2001年まで本学の学長を務めた方です。学長時代の入学式式辞で「"他人と違ってこれができる"という付加価値がなくても、あなたには存在価値がある」と言われた言葉と共に紹介されていました。
牧師の家庭に育った荒井先生自身の少年期の体験をはじめ、教会固有の問題、エコロジーやジェンダー、脳死など、当時話題となった社会的な問題を取り上げ、その一つひとつに信仰者としてどう向き合うかが聖書に即しながら分かりやすく語られています。私も幾度となく手にした本ですが、特に印象的なことは、差別や迫害をされる弱い者の立場に寄り添い続ける先生の眼差しがけっして優しさだけで語られるものではないことです。弱さを受容することは、究極、強者や権力と対決すること、つまり「弱いときこそ強い」という冷徹なメッセージが静かな語り口の中に貫かれている本書を10数年ぶりに再読して、改めて心に響くものがありました。
入口のディスプレイにたたずむ河井道先生もまた、今から90年近く前、女性の自立や活躍などという言葉がほとんどないに等しい1929年に、平和の構築に尽くす自立した女性の育成に道を開かれました。人々が踏みならした道を行くことに満足することなく、まっすぐな狭い道を歩むことを女性に求めた河井先生もまた、弱き者故の強さを信奉された方だったのだと思います。
図書館でしばし時を過ごしながら、最近読んだ『この星の忘れられない本屋の話』の編者、ヘンリー・ヒッチングズ氏の言葉を思い出していました。「本屋は過去1000年にわたり、最も多くのことを伝えた書物というアイテムを手に入れるための特別な場所。まさに聖地だ」。本屋を大学の図書館に置き換えてみたときに、学生たちにとって恵泉の図書館が、長い時を刻みながら伝えられてきた最も多くの、そして大切なことをたしかに受け継ぐ場となることを願いたいと思います。
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