3期生の嬉しい訪問

2022年05月09日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美

先月の末に、3期生の大野文子さん(人文学部 英米文化学科 3期生:1995年卒業)が学長室を訪ねてくださいました。現在、イギリスのオックスフォードにご夫君・お子さまと住んでおられますが、お母様のご葬儀で一時帰国されました。この「学長の部屋」を読んでいてくださり、在学中に教職課程でご指導をいただいた岩佐玲子先生(英語コミュニケーション学科)と連絡をつけて、ご一緒に訪ねてくださいました。

"卒業後、長い年月を海外で暮らしてきたということもあり、訪問が遅れました"とのことでしたが、恵泉での学びの日々は、卒業して四半世紀以上という時の流れの中で、改めて深く思われると言われて、とても励まされる思いでした。
お帰りになられた後、大野さんが次のような文章を送ってくださいました。在学生や保証人の皆様にもぜひお読みいただければと思いまして、ご本人のご了承を得て、ご紹介させていただきます。

<大野文子さんからのメッセージ>

大学を卒業して8年ほどは、仕事や自分のキャリア磨きに忙しく、乗ってきたレールの上を走り続けるのに夢中でした。しかし、その後、仕事において自分の限界を思い知らされ、そして家庭を持つようになり、夫の転勤について行き、今までしがみついてきた仕事という目標が剥がれていき、自分の生き方に変化が訪れるようになりました。特に、子育てというものは、楽しい時ばかりではなく、出口の見えない試行錯誤の続く、仕事とは違った難しさがあると、痛感するようになりました。

そんな折、美しい花や庭園に心癒されることがありました。「あぁ、恵泉はいつも花でいっぱいだったな」「園芸やったな」「長靴はいて、鍬を担いで、畑に行ったな」「植物を育てたな」「チューリップの学名は、Tulipa gesneriana だったな」。道端に咲いている小さなかわいい花を見つけては、「雑草なのに、強いな」「恵泉では、野に咲く花も美しい、と習ったな」「自分は、雑草みたいに強いか?いや、弱いな...」「家族を持つ様になったとはいえ、仕事、辞めたしな...」「でも、子供はかわいいな」「自分って、なんだろう?」「何がやりたいんだろう?」「これから、どうしていきたいんだろう」等々、日々の生活をこなすのに精一杯な中で、このようなことを繰り返し考えていました。

子供が成長するにつれ、私の気力体力にも限界があると知り、そうなると、自分のイライラを子供にぶつけたり、怒ったり、母としての黒歴史を経験するようになります。
そんな折、「園芸の授業で、花の特性について勉強したではないか?」「園芸の菊地さんは、慈しみを持って、多摩キャンパスの花を育てていたではないか?」「いや、花は泣かない、文句を言わない」「色々な植物、色々な育て方がある、と習ったではないか?」「自分は子供を愛しているはず」「なぜ、子供の個性を見てあげられない?」。私には、17歳の娘を筆頭に3人の子供がいます。子供はかわいいですし、楽しく子育てしてきたつもりですが、ネガティブな気持ちに陥ったことは、多々あります。

月日は流れ、ここ数年、その年の中で同じ喜びを分かち合った方には感謝を伝えるため、悲しく辛い思いをされた方には次の年が少しでも良い年となる様に願うため、クリスマスになるとキャンドルを入れて灯りを灯せるジンジャーブレッドハウスを作り、ランタンとしてプレゼントする様になりました。なぜ、ランタンか?暗闇の中で光る美しい灯に、心打たれる思いがするからです。

とあるクリスマスの頃、ジンジャーブレッドハウスのランタンに灯を灯すとき、どこからともなく、ある一節が頭をよぎることに気がつきました。「光よ やみを去らせ ま昼のうちに すませ給え」
恵泉女学園創設者の河井道先生が訳詞された「ひかりよ」の1番目の部分です。恵泉では卒業式で、卒業生から在校生にランタンを渡す儀式があり、その時に歌われるものです。

大学を卒業して、色々な経験を重ねていくうちに、ランタンをお渡しすることで、共に喜んだり、苦しみや悲しみに少しでも寄り添いたい、他人の気持ちに寄り添いたい、と思うようになっていたのだと思います。私は、近年、相次いで両親が他界していきました。無意識ではありましたが精神的にかなり依存していたことが分かり、そんな大切な人たちが私の周りからいなくなった後、これからどうやって生きていけば良いのか、こんな年になっても思い悩む自分に驚きました。でも、他人を思う気持ちを持っていれば、私は生かしてもらえる、これからもしっかり生きていかれる、と信じています。

大学卒業後、かなり長い時間が経ちましたが、恵泉女学園大学で学んだことや感じたことを思い出すことが多々あるなと思っていた矢先、入学式を終えたばかりのキャンパスを訪問することになりました。私がまず出会ったのは、新入生一人一人に寄り添おうと奮闘している先生方でした。

そうだ・・・。これだ・・・。私にもこういう機会がありました。未熟な一生徒の拙い話しを、長い時間かけて聞いてくださった先生方がいたのです。悩み多き20歳前後の学生のことですので、「心配しないで、一生懸命やっていれば、いつかは大丈夫だ。」と、5分も話せば話し終わってしまうようなことでも、じっくり話しを聞いてくれ、共に考え、一人一人の学生に寄り添おうとしてくださる先生方が、恵泉にはいるのです。卒業後すぐには気がつきませんでしたが、そんな方々に私は救われていました。なんと有難いことか。

恵泉には、河井道先生が掲げた「聖書」「国際」「園芸」という3つの柱があります。卒業後すぐに海外へ飛び出した私にとって、「国際」という部分は当初から当てはまっていたと思いますが、「聖書」と「園芸」については、徐々に徐々に私の中で温められ、自分なりの解釈ではありますが、自分の心を潤す大切な役割を果たしていってくれました。

<大野さんが作られたジンジャーブレッドハウスと和菓子>

オックスフォード大学 ボドリアン図書館
ラドクリフカメラをモデルに、設計士でいらしたお父様が他界されたとき、お父様を身近に感じながら作成されたとのことです
河井道先生が訳詞された「光よ」を思い、
中央に灯を
お土産にいただいた大野さん手作りの練り切り