夏季集中講義のご報告
2023年09月04日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美
9月に入りましたが、多摩キャンパスは夏期休暇が続いております。
本日は夏期休暇に入って間もなくの4日間(7月31日~8月2日)に行われた集中講義『ステップアップキャリアスキルⅣ(認定)』が、とてもユニークで魅惑的に思われましたので、ご紹介いたします。
<担当>桃井和馬先生(国際関係/メディア論/写真・文章表現)
<授業の概要・目的><到達目標>
【授業概要・目的】
現代社会では、人々はそれぞれ1日1万点以上の写真を目にしていると考えられています。
洪水のように社会に溢れる写真と添えられる文章。しかし、その多くが注目されることなく一瞬で消費されるだけに終わっているようです。 写真と短い文章で、「情報」や「思い」をどのように印象的に伝えるのか?本授業は写真と文章表現の上達を目的にした授業です。
写真を撮り、文章を書くこととは、対象となるモノや出来事をしっかり見つめ、あらゆる角度からそれについて考察することであると同時に、自分自身を見つめることでもあるのです
【到達目標】
- 「映える」写真の撮り方
- 相手に伝わる、印象的な文章を書く能力の向上。
- 写真と文章を通して、自分を見つめ、時代を捉え直す。
以下はこの集中講義を受けた一人の学生の作品とそれに対する先生の評です
「コーヒーゼリー」 與安海人(社会園芸学科2年)
上から、甘いソフトクリーム、冷たいクラッシュアイス、苦いコーヒーゼリーの層。
甘いのは好きだけど甘ったるいのは嫌いだし、苦いのは好きだけど苦しいのは嫌い。
味覚も、誰かとの関係もコレと同じならいい。全体と終わりが可視化されているから。
容器にストローを刺して甘いと苦いが偏らないように、すべて中和させて、口に含んだ時に情緒の波が荒立ってしまわぬようグチャグチャに混ぜる。情緒の波に疲れてしまわぬように・・・。
十分に混ぜた後、ストローに唇を付けた。
・・・苦い。
暑さで水分のとんだ私の唇よりも遥かに水分を含んだコーヒーゼリーの層は、柔らかく、しかし口内に鈍い大人の刺激を残した。日常の些細な出来事と毎日の暑さが慢性的に私の首を絞め、ゆるゆると不快の沼底へ私を引きずり込み、生きる屍へと変えていく様に。いつもならプルプルとしたゼリーに心奪われるはずなのに、今日だけは、ブニュブニュしたその物体に不快感さえ覚える。
一旦手を止めてからもう一度、私自身が苦しまないように、暑さと苦しさに殺されてしまわぬように、もっともっとグチャグチャに混ぜて、ストローから中身を吸い上げた。歯に当たった小さくて冷たいいくつもの氷。大きければ噛み砕けない氷も、小さいが故にいとも容易く噛み潰せてしまう。感情まかせの弱い意思や鋭い言葉みたいに、簡単に壊れて溶けて消える。
馬鹿みたいだ。自らの怒りで火傷しない為に、他人に向ける言葉の刃先なんて。
全部終わらせてしまえば良いのに。
なんて、思う一方で私もコレを捨てられない。
お金。時間。執着。
対価を払ってしまった分、手放すことに抵抗を覚える。
苦味から逃げたくて、冷たさから遠ざかりたくて、ストローからどんどん中身を吸い上げる。
目と鼻の先に見えてるソフトクリームは、だが、下部の苦いコーヒーゼリーをすべて舌の上で転がさないと飲み込めず、求めれば求めるほど、白いソフトクリームは私の視界の中で遠のいていく。
もう求めるのをやめようかと思った頃だった。ストローから出てきた甘さが、舌の上で溶けて、体全体に優しく広がった。
ずっとずっと求め続けていた甘さ。だが満たされ後は、すぐに喉が甘ったるさで焼けてきた。先程まで強く求めてきたものなのに、今は嫌気が差してきたけど手放せず、喉を焼いて焦がして、胸元に生まれた不快、広がる憂鬱。
胸やけの末にようやくすべてを飲み干して、空の容器をごみ箱に捨てた。
作品評(桃井和馬)
立ち止まり、当たり前で退屈な日常を、「言葉」と「写真」で見つめなおす。それが、この夏に開講した集中講座「表現力実践講座(ステップアップ編)」が目指した地平でした。授業では、徹底的に対象となる被写体を見つめ、考え、その上で写真を撮り、文章を書くことにこだわってもらいました。
一瞬を写す写真とは、一瞬以外の時間をひたすら考え続けるメディアです。
また、伝わる文章には、言葉と言葉の間を読み手に想像させる「行間」があるのです。
そして、その二つが有機的に交差する時、読み手の中で、自ら動き、雄弁に物語を紡ぎ始めるのです。
與安さんのこの作品は、学校に来る前にコンビニで買ったコーヒーゼリーがテーマでした。
失礼な言い方をすれば、一応三層に分かれているものの、どこにでもある、普通のコーヒーゼリーでしょう。
しかし、その当たり前で、どこででも買えるデザートであっても、しっかり見つめると、心地良いだけでなく、不快感さえ覚えてしまう苦味や、胸焼けするような甘ったるさもあることに気づくのです。それはまるで、他者との人間関係に悩み、お金や時間に執着する自分自身の嫌な部分のメタファとなり得るのです。鋭利な感受性を持つ学生だからこそ書けた繊細さを内包した文章でしょう。
コーヒーゼリーを飲むという日常的な行為の中からでも、これだけ深く自分自身を掘り下げることができる。 この作品では、最後の一文が秀逸です。 胸やけするくらい濃い味のコーヒーゼリーの容器(=嫌な自分)をゴミ箱に捨てる。
古い自分を捨て、新しい一歩を凛とした姿勢で踏み出したことが、余韻と共に読み手に伝わるからです。
どこにでもある日常を鋭く切り取り、そこに自身の今を対峙させていく、きらりと輝く若い個性と感性、それを引き出した講義の力に魅了されましたので、ここにご紹介させていただきました。