いつまで女性たちを"ルッキズム"に晒すのですか?!
2024年02月12日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美
内外で卓越した活躍をしている上川陽子外務大臣に対する麻生副総理の発言が、国会をはじめとしてSNSなどで大きな物議をかもしました。
麻生氏の発言の真意は、上川氏の政治家としての手腕を高く評価することにあったと思われますが、そのために、いわゆる"ルッキズム"的表現(容姿などで人を評価すること)を対比的に用いたのです。
主に女性たちから沸き起こった強い抗議の声に、発言は一応、撤回謝罪されましたが、この問題の闇の深さを麻生氏はもとより、日本社会がはたしてどこまで理解しているか、疑問に思われてなりません。
折しも、年明けから放映が始まったTBSテレビ金曜ドラマ『不適切にもほどがある』の一場面をみるような思いでした。
このテレビドラマは、令和と昭和を対比しながら双方の社会を風刺することをねらったもので、コンプライアンス重視の令和社会に窮屈さや不自由さを抱いている昭和世代からは絶賛を博している一方、30代やZ世代の反応は温度差があるようです(番組ホームページより)。
たしかに、コンプライアンス偏重で、ときに重箱の隅をつついたり、言葉狩りに終始したりするような近年の風潮には、私も疑問を覚えることがあります。
しかし、女性活躍の進捗が問われている今日、それを体現するかのような活躍をしている女性に対して、男性が"ルッキズム"的表現を、しかも、個人的一方的な基準としか思えない"ルッキズム"的な言葉を投げかけることは、世代や時代感覚の温度差等で済まされるものではけっしてありません。
こうした一面的なものさしで、これまで女性の生き方がどれほど歪められ、自分らしく生きることから疎外されてきたことでしょうか。
世代を超えて多くの女性がさまざまな場で共通に味わってきた息苦しい闇に他ならないのです。
なぜなら、日本社会で言われる"女性の美しさ"とは、イコール若さと、ときに幼さでもあり、それが職場でも家庭でも、男性に素直に従う愛らしさとされる中、女性たちは自己主張や自分らしい生き方を疎外されてきたからです。
世界経済フォーラムが毎年発表するジェンダーギャップ指数で、日本女性の地位が世界の中でも最下位に近いことの反省がどこまでなされているのでしょうか。
日本女性の地位の低さは、女性が人としてリスペクトされることの少ない社会の現状であり、そのことに若い女性たちは失望しています。
政府がどんなに女性活躍を叫んでくれても、それは単に女性を少子化対策の駒、労働力としてしか見ていないのではないかという声に、政治家たちはもっと真摯に耳を傾けるべきです。
もっとも、今回、はからずも多くの女性、そして男性たちも抗議の声をあげました。抗議の声があがったことに、私は闇を照らす一条の光を見る思いでおります。それはこれからの社会で活躍することを夢見て、懸命に学んでいる、次世代を生きる若い女性たちにとって、必ずや未来を明るく照らす光となってくれることでしょう。