恵泉女学園大学

2008年9月

研修プログラム その3

2008年09月29日

「『近くて遠い国』から『近くて親しい国』へ――中国短期FS報告」

8月に開かれた北京オリンピック、2010年の上海万博に象徴されるように、「新興大国」となりつつある中国はこの十年来、高い経済成長率を維持し、いまや日本にとってはアメリカと並ぶ重要な貿易相手国となっており、隣国中国に対する関心は日増しに高まっている。他方、食の安全、格差、人権問題に絡んで日本のマスメディアに登場する中国のイメージは必ずしも良いものとは言えない。その上、歴史問題をめぐる対立も両国の国民感情に重い陰を落してきた。日本にとって中国はいまだに「近くて遠い国」なのだ。

しかし、「百聞は一見に如かず」、9月4日から13日にかけて実施された恵泉初の中国短期FSでは、まず上海を訪ね現地の日系企業を訪問し、また、中国の大学生と議論をした。さらに、南京を回り、資料館を訪ね南京事件の被害者から証言を聞いた。

このような実体験を通して学生たちはなにを感じ、なにを学んだのか?彼女たちの声に耳を傾けましょう。「この10日間でいろんなことを学んだ。歴史問題を考えたり、日系企業を訪問したり、上海・南京の人々と触れあってきたが、そのどれにでも共通して言えることで、私が一番学んだことは、お互いにコミュニケーションをとることが大事だということだ」(Nさん)。「学生たちと話をして感じたのは、違いはあっても、関心のあることは同じなのだということ、過去に対する様々な思いはあっても、みんなが日本と中国の明るい未来を考えているのだということ」(Kさん)。「これからの日中関係は国のトップの人たちだけではなく、私たちの若い世代同士が交流していくことのよって、創りあげていけると、私も思う」(Sさん)。

まだ始まったばかりであるが、若い人々の意志と力で、日中両国は「近くて親しい国」になると確信している。

国際社会学科 特任准教授 楊志輝
担当科目:国際社会基礎演習I(国際社会と人権)他

研修プログラム その2

2008年09月22日

「優しく逞しいカンボジア」

カンボジアと言えば、紛争、地雷、アンコールワットがよく連想される。中国とインドに挟まれたこの地に一大文明を築き、巨大な遺跡群を残したクメールの人々は20世紀に入り、長年にわたる内戦によって自ら大きな傷を抱えることになった。75年からの約 4年間、ポルポト政権による200万人近い自国民の虐殺はナチスによるユダヤ人虐殺と比肩される歴史的事件としてだけでなく、日本の膝元であるアジアでの出来事として記憶に残る。

今回、学生達とその時の強制収容所の一つ、トゥールスレーンを訪問した。小さな小学校跡地は、解放当時のままひっそりとプノンペンの下町に佇んでいる。ここでは前政権支持者や医者や教師など知識人があらぬ嫌疑をかけられ、捕まえられ、次から次へと殺されていった。その数、約2万人。生き残ったのはわずかに7人。熱帯の日差しに少し目眩がした。

私たちは、そのうちの一人、ヴァンナートさんにお会いする機会を得た(写真1)。絵が上手く、ポルポトを写生して生き残ったという。語る表情は優しいが、必ずしも明るくない。好きだった絵によって自分が生かされ、友が殺されたのだ。この痛みを理解する術を私たちは持たない。しかし、それ以上に、彼は私たちに「理解してはいけない」と言っているようだった。このような非人間的なことが「理解できるもの」であってはならないのだと。なのに、彼は今も人々に向けて描き続けている。「理解されない」ことを前提に発信し続ける「生の強さ」に、私は感動が止まらなかった。

後日、私たちは農村も訪問した。内戦の爪痕は、農村において最も烈しい。97年までポルポト兵は森に隠れ、地雷は田畑からお寺、遺跡跡など至る所にばらまかれた。「農村の復興」など絵空事でしかなかった。カンボジアの人々が本当に安心して暮らしを立て直し始めたのはわずか10年前からだ。しかし、この10年で人々の表情は明るくなり、貧しいながらも私たちをもてなしてくれるまでになった。いつの時代も、どこでも農民はたくましい。人口の7割が暮らす農村こそカンボジアの底力だ。すべてはそこから始まる。「食べられないなんて言ってられない」。学生達も村の食事をほおばっていたのが微笑ましい(写真2)。さすがに蜘蛛はダメだったみたいだけれど。紛争から復興、都市から農村、あらゆるところでカンボジアの強さに圧倒された1週間だった。

国際社会学科 特任准教授 高橋清貴
担当科目:国際ボランティア論他

研修プログラム その1

2008年09月15日

「ニューヨークのモスクで海外体験学習」

つい先日、8月末から9月の始めの約10日間、ニューヨーク市でアメリカ・短期フィールドスタディ(FS)を実施しました。

写真1は、ブルックリンのベイリッジという町にあるアラブ・レストランで撮った写真です。ブルックリンはアメリカ最大のアラブ系人口を抱える地域で、ベイリッジにはアラブ系のイスラム教徒がたくさん住んでいますが、この写真には、恵泉の学生とともに、FSで毎年お世話になっているパレスチナ系アメリカ人のムスファーさんとその娘さんも写っています。

実は、イスラム暦のラマダーンに当たるこの時期、世界中のイスラム教徒は、日の出から日没まで飲食を一切絶つという断食の義務を遂行しています。学生たちは、ベイリッジのアラブ系イスラム教徒のモスクで、ムスファーさんからイスラム教やアメリカでのイスラム教徒の生活についてお話を伺ったのですが、日没後、断食が終了すると、モスク内でアラブ料理を一緒にご馳走になり、さらに写真のレストランでアラブのデザートをいただくことになりました。

学生たちは、通常のニューヨーク観光ではなかなか訪れることのできないこうした訪問先で、実体験を通してアメリカ理解を深めてくれたと思います。

写真1:ブルックリンのベイリッジにあるアラブ・レストラン
写真2:マンハッタンにあるコロンビア大学のキャンパス

国際社会学科 専任講師 漆畑智靖
担当:アメリカの政治・外交、短期フィールドスタディ(アメリカ合衆国)など

夏の思い出 その3

2008年09月08日

「じゃんがら」

今年もお盆は福島県いわき市にある妻の実家に帰省しましたが、ちょうど「じゃんがら念仏踊り」を見ることが出来ました。恵泉女学園大学は、キリスト教主義の学校なので、仏教の「念仏踊り」は身近なものではありませんが、文化として興味深く思ったのでご紹介します。

みなさん、「じゃんがら念仏踊り」って知っていますか。江戸時代から伝わる福島県いわき市の伝統芸能で、通称「じゃんがら」といい、いわき市の無形民族文化財に指定されています。地区ごとに結成された15人くらいの若者達が、この1年の間に家族を亡くした新盆を迎える家を訪ね、太鼓、鉦を叩き、踊りを披露することで供養をし遺族を慰める、この地域の夏の風物詩です。

さて「じゃんがら」が新盆を迎えた家に到着すると「チャンカ、チャンカ、チャンカ、チャンカ・・・」と鉦と太鼓の音が聞こえてくるので、近所の人たちは見物するためにゾロゾロと集まってきます。そしてちょっと物悲しい節の歌と、ユニークな踊り、力強い太鼓の音、にぎやかな鉦の音を堪能します。地区によってテンポが早かったり、あるいはちょっと鉦と太鼓の音が合っていなかったりと様々で、どこの地区が上手いか聞き較べるのも面白かったりします。

でも「じゃんがら」を見ていて一番強く感じることは、「悲しんでいる人たちに元気を出してもらいたい」という地域の人たちの温かい気持ちです。その温かい気持ちがあるからこそ江戸時代から現在まで受け継がれているのだと思います。

改めて、文化には、成り立ち、背景、歴史があるのだと感じた夏でした。

入試広報室
櫻井証

夏の思い出 その2

2008年09月01日

「オープンキャンパス」

いよいよ9月になりました。この夏、みなさんはどんな思い出ができたでしょうか。夏休みって本当にあっという間に終わる気がしますね。

入試広報室の「夏」といえばやはり「オープンキャンパス」。本学では、学生実行委員「キャンパスアテンダント(CA)」が、教職員と一緒に作り上げています。

CAは、2年生と3年生で構成されており、春から職員と共にミーティングを始めます。
昼休みに研修をしたり、園芸体験「押し花レター」の準備の一環として、キャンパスに咲く花をつんで押し花にしたりもしました。それぞれが、来場者の皆様に喜んでいただけるよう、一生懸命取り組んでいます。

また、CAによる「キャンパスツアー」は、基本的なご案内に加え、CA同士で自主的に練習を重ね、一人一人の個性を生かしたツアーができるような努力を行っています。

オープンキャンパス当日、CAと教職員一同で来場者の皆様をお迎えできることは、私たち入試広報室のスタッフにとっても大きな喜びです。

次回は、日曜日(7日)にランチバイキングから始まる「固定メニュー」のオープンキャンパスを行います。夏の「メニュー自由選択方式」とはまた一味違ったオープンキャンパスです。

どうぞ、また多くの皆さまにキャンパスにお越しいただけるよう、心よりお待ちしております。

入試広報室 西村馨