研修プログラム その2
2008年09月22日
「優しく逞しいカンボジア」
カンボジアと言えば、紛争、地雷、アンコールワットがよく連想される。中国とインドに挟まれたこの地に一大文明を築き、巨大な遺跡群を残したクメールの人々は20世紀に入り、長年にわたる内戦によって自ら大きな傷を抱えることになった。75年からの約 4年間、ポルポト政権による200万人近い自国民の虐殺はナチスによるユダヤ人虐殺と比肩される歴史的事件としてだけでなく、日本の膝元であるアジアでの出来事として記憶に残る。今回、学生達とその時の強制収容所の一つ、トゥールスレーンを訪問した。小さな小学校跡地は、解放当時のままひっそりとプノンペンの下町に佇んでいる。ここでは前政権支持者や医者や教師など知識人があらぬ嫌疑をかけられ、捕まえられ、次から次へと殺されていった。その数、約2万人。生き残ったのはわずかに7人。熱帯の日差しに少し目眩がした。
私たちは、そのうちの一人、ヴァンナートさんにお会いする機会を得た(写真1)。絵が上手く、ポルポトを写生して生き残ったという。語る表情は優しいが、必ずしも明るくない。好きだった絵によって自分が生かされ、友が殺されたのだ。この痛みを理解する術を私たちは持たない。しかし、それ以上に、彼は私たちに「理解してはいけない」と言っているようだった。このような非人間的なことが「理解できるもの」であってはならないのだと。なのに、彼は今も人々に向けて描き続けている。「理解されない」ことを前提に発信し続ける「生の強さ」に、私は感動が止まらなかった。後日、私たちは農村も訪問した。内戦の爪痕は、農村において最も烈しい。97年までポルポト兵は森に隠れ、地雷は田畑からお寺、遺跡跡など至る所にばらまかれた。「農村の復興」など絵空事でしかなかった。カンボジアの人々が本当に安心して暮らしを立て直し始めたのはわずか10年前からだ。しかし、この10年で人々の表情は明るくなり、貧しいながらも私たちをもてなしてくれるまでになった。いつの時代も、どこでも農民はたくましい。人口の7割が暮らす農村こそカンボジアの底力だ。すべてはそこから始まる。「食べられないなんて言ってられない」。学生達も村の食事をほおばっていたのが微笑ましい(写真2)。さすがに蜘蛛はダメだったみたいだけれど。紛争から復興、都市から農村、あらゆるところでカンボジアの強さに圧倒された1週間だった。
国際社会学科 特任准教授 高橋清貴
担当科目:国際ボランティア論他
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