2009年7月
大学と高校との違い その4
2009年07月27日
「自律すること」
私が高校教員だったとき、一日の始まりは担当していたクラスのホームルームに行くことでした。毎朝教室に行って、その日の連絡事項を伝え、生徒の様子を確認。時々制服の着方や髪形について、朝から生活指導をしなければいけないこともありました。
高校生はほっておかれません。いつも担任の先生や副担任の先生が、生徒のことを見守っています。助けが必要なら、「助けて」と言わなくても、手を差し伸べてもらえる場合も多いでしょう。また、「クラス」というすべての生徒がそれぞれに所属する小さな世界があるので、周りの友達が心の支えになってくれるでしょう。
大学では、担任の先生はいません。自分が所属する「クラス」もありません。ですから、分からないことや困ったことがあっても、自ら助けを求めなければ、助けを得ることはできないし、問題を解決することもできないかもしれません。
大学では「自律」することがとても大切です。「自律」の必要性は大学と高校の違いの一つだと思います。分からないことがあれば、自ら聞いてみる。困ったことがあれば、自ら相談してみる。
誰に、何を、どのように聞くかを判断するのは自分自身です。そして、実際に実行するかどうか決断するのも自分次第です。
自ら求め、行動すれば、得るものは大きいでしょう。同じことは大学での勉強の姿勢に対しても言えます。大学は単に勉強すべきことを与えられる場所ではありません。自ら勉強したいことを見つける場所なのです。
大学での4年間を、自ら考え、行動して過ごす。4年後、今よりも輝いた自分の姿が想像できませんか?
英語コミュニケーション学科 助教 村岡有香
担当科目:英文基礎購読他
大学と高校との違い その3
2009年07月21日
「ゼミでの学び」私の大学時代、「大学ってやっぱり高校と違うなあ、大学の勉強はこういうものなのか」と実感した場は、いわゆるゼミ(演習)でした。
通常、ゼミは10名前後から15名くらいの少人数クラスで、恵泉の場合、2年から始まります(1年次に、教養基礎演習という大学入門ゼミがありますが)。担当者がレジュメを発表し、学生同士でディスカッションを行い、教員がコメントをするというのが平均的なゼミの姿だと思いますが、これほどまで徹底した少人数の参加型の授業は高校には普通ありえません。ゼミが終わったあとの飲み会で同期とゼミの延長戦を行い、本気で議論をしたあの経験はいまでも本当に楽しい思い出です。
しかし、楽しいだけではありませんでした。私は国際政治学のゼミに参加したのですが、この分野について何でも知っている指導教授の前で発表するのですから、その緊張たるや、すさまじいものがあり、それこそ日本語表現の一字一句まで、質問されたら答えられるように準備をしなければならないという精神的重圧で、胃が痛くなることもありました。
私の経験した恩師のあのゼミは、現在、教員となった私自身にとって、いまだ至ることのできないはるかに遠い目標にとどまってしまっていますが、私はゼミという場所で、恩師に1つの学問分野を徹底的に究めるということの厳しさを教えていただくことで、大学で学ぶ学問の何たるかを知ったのだと思います。
国際社会学科 専任講師 漆畑智靖
担当科目:国際政治学、アメリカの政治・外交
大学と高校との違い その2
2009年07月13日
「~自分でつくる・自分をつくる~」
しかし、高校に入ると、住んでいる地域が少し遠くても、気の合う仲間とつるんだり遊びに行くことの方が多いのではないでしょうか。
さて、大学は、それを一歩進めて、興味や思考傾向を同じくする人の集まりです。
この頃の仲間や教師との交流は、「世界」を見る見方、人生を左右する「自分」の根幹の部分を形成します。また、高校までは「学習指導要領」というものがあり、これこれこういう内容を教えなさいと細かく指定されますが大学ではそれがない。自分の人生を豊かにすると思われる科目を、基本的には自分で構成し、時間割りを組んでいくことになります。
「自己改造計画」とでも言えるようなプログラミングが可能なのです。
その意味で、高校までは、共通知識の枠組みがあり、互いの変化が類推できるのに対し、大学からの変化は、自らも予想しえない大きな変化となります。
さてさて、教科書のない「世界」と「人生」にどう向き合うか。それは自身をどう変えていきたいかと連動した「知」の営みです。
日本語日本文化学科 准教授 川井章弘
担当科目:日本語研究III(日本語教育)他
大学と高校との違い その1
2009年07月06日
「学問に対する姿勢」
一番の大きな違いは学ぶ人の学問に対する姿勢だと思います。大学は高校と同じで学問(勉強)をする場です。しかし教わる場ではないのです。大学は自分で自分の目指す目的に向かって、学問を習得、追求していく場です。
そして大学は安住の地ではありません。大学に入学すると、多くの人は4年後の卒業を目指して、社会に巣立つための自分を作り始めます。だから大学に入学する以前に、自分の生き方、生きていく目的について、結論は出さなくても良いから、考えておいてほしいと思います。大学に入学してからそれらを考えることも可能です、しかし4年間という社会に出るまでの期間を、可能な限り内容の濃い充実したものにするためには、私はそれなりの準備をして欲しいと思っています。恵泉女学園大学は、自然に恵まれた花いっぱいの静かなキャンパスで、学生それぞれの目的に合わせた少人数教育を行っています。
そこで4年を過ごした卒業生は、卒業式で創立以来受け継がれてきたランターンより一人ずつ自分のキャンドルに火を受け、創立者 河井道訳詞の『ひかりよ』の歌に送られて、社会に巣立っていくのです。
ひかりよ
ひかりよ やみをさらせ まひるのうちに 住ませたまえ
まことよ わが目をあけ 聖き道を しめしたまえ
さかえよ ながよろこび 賤が身にも うつしたまえ
いのちよ 世をきよめて ながものとぞ ならせたまえ
ああ愛よ わが身をすて 友のために 生かしたまえ
この歌詞にあるとおり、恵泉女学園大学は社会のために働く、多くの人材を輩出しています。
法人本部 事務局長 金子博