KEISEN Campus News by Teachers
教職員が恵泉にまつわる様々なことを紹介します。
芸術の秋 その1
2008年10月13日
「中世ヨーロッパの『10月』」
中世ヨーロッパでは、「時禱書」というものがさかんに作られました。これは数時間おきにささげる祈りの言葉などを記したものですが、一種のカレンダーのような機能を持つタイプのものもありました。豪華な本になると、月ごとに美しい挿図が付けられています。当時、人々は何月に何をしていたのか、私たちはそれらの挿図を通して知ることができます。ランブール兄弟によって制作された、有名な『ベリー侯のいとも豪華なる時禱書』(シャンティイ、コンデ美術館蔵)の「10月」を見てみましょう(図)。いかにもカレンダーらしく、最上部には星座や月齢表などが付けられています。画面中央には、この本の注文主であるベリー侯が住む、美しいお城が描かれています。その下では、農民たちが畑を耕し、種をまいています。
この時期に種をまくということは、これは「冬麦」です。冬麦は、春に収穫の時期を迎えます。その後はしばらく畑を休ませないといけませんが、先に休ませていた隣の畑では、今度は春に「春麦」の種をまき、夏に収穫することになります。畑を三つのゾーンに分けて、お互いの休耕期間をずらしながら二種類の麦を順繰りに育てていく方法です。
こうすれば一年中食物が手に入り、しかも別種の麦なので、同一伝染病で同時に凶作になる危険がありません。13世紀に定着したこの「三圃農法」のおかげで、ヨーロッパの人口は急増しました。この絵は15世紀初頭に描かれたものですから、当然のように二期作をおこなっています。おおがかりな農機具を用いた耕作の光景は、「私の領民は皆幸せだろう」と自慢したい領主ベリー侯の気持ちを映し出しているのでしょう。
秋は、春の収穫のために種をまく季節。学生の皆さんは、冬麦の種をまくかわりに、秋のこの時期に、本を沢山読んだり、映画や展覧会を観にいったりすることで、教養や知識の種を自分にまかれてはいかがでしょう。そうすれば来るべき春は、かならずや豊かな実りの季節となるはずです。
文化学科 准教授 池上英洋
担当科目:文化学基礎研究IV(キリスト教徒と美術)他
研修プログラム その4
2008年10月06日
「日本語教育実習」
この時期、恵泉の日本語教員養成コースは、国内の日本語教育機関での教育実習(研修)を手始めに、12月にはタイ、パヤップ大学で2週間の教育実習を行います。

実習生たちはこの研修を経て、自己のコミュニケーション能力を強化し、言語的弱者の気持ちを理解するような感性を育て、社会へ巣立つ準備に入っていきます。
秋風を背に 恵泉の若きつばくろめ 飛び立ちつ。
日本語日本文化学科 准教授 川井章弘
担当科目:日本語基礎購読II(日本語)他
研修プログラム その3
2008年09月29日
「『近くて遠い国』から『近くて親しい国』へ――中国短期FS報告」8月に開かれた北京オリンピック、2010年の上海万博に象徴されるように、「新興大国」となりつつある中国はこの十年来、高い経済成長率を維持し、いまや日本にとってはアメリカと並ぶ重要な貿易相手国となっており、隣国中国に対する関心は日増しに高まっている。他方、食の安全、格差、人権問題に絡んで日本のマスメディアに登場する中国のイメージは必ずしも良いものとは言えない。その上、歴史問題をめぐる対立も両国の国民感情に重い陰を落してきた。日本にとって中国はいまだに「近くて遠い国」なのだ。
しかし、「百聞は一見に如かず」、9月4日から13日にかけて実施された恵泉初の中国短期FSでは、まず上海を訪ね現地の日系企業を訪問し、また、中国の大学生と議論をした。さらに、南京を回り、資料館を訪ね南京事件の被害者から証言を聞いた。
このような実体験を通して学生たちはなにを感じ、なにを学んだのか?彼女たちの声に耳を傾けましょう。「この10日間でいろんなことを学んだ。歴史問題を考えたり、日系企業を訪問したり、上海・南京の人々と触れあってきたが、そのどれにでも共通して言えることで、私が一番学んだことは、お互いにコミュニケーションをとることが大事だということだ」(Nさん)。「学生たちと話をして感じたのは、違いはあっても、関心のあることは同じなのだということ、過去に対する様々な思いはあっても、みんなが日本と中国の明るい未来を考えているのだということ」(Kさん)。「これからの日中関係は国のトップの人たちだけではなく、私たちの若い世代同士が交流していくことのよって、創りあげていけると、私も思う」(Sさん)。
まだ始まったばかりであるが、若い人々の意志と力で、日中両国は「近くて親しい国」になると確信している。
国際社会学科 特任准教授 楊志輝
担当科目:国際社会基礎演習I(国際社会と人権)他
研修プログラム その2
2008年09月22日
「優しく逞しいカンボジア」
カンボジアと言えば、紛争、地雷、アンコールワットがよく連想される。中国とインドに挟まれたこの地に一大文明を築き、巨大な遺跡群を残したクメールの人々は20世紀に入り、長年にわたる内戦によって自ら大きな傷を抱えることになった。75年からの約 4年間、ポルポト政権による200万人近い自国民の虐殺はナチスによるユダヤ人虐殺と比肩される歴史的事件としてだけでなく、日本の膝元であるアジアでの出来事として記憶に残る。今回、学生達とその時の強制収容所の一つ、トゥールスレーンを訪問した。小さな小学校跡地は、解放当時のままひっそりとプノンペンの下町に佇んでいる。ここでは前政権支持者や医者や教師など知識人があらぬ嫌疑をかけられ、捕まえられ、次から次へと殺されていった。その数、約2万人。生き残ったのはわずかに7人。熱帯の日差しに少し目眩がした。
私たちは、そのうちの一人、ヴァンナートさんにお会いする機会を得た(写真1)。絵が上手く、ポルポトを写生して生き残ったという。語る表情は優しいが、必ずしも明るくない。好きだった絵によって自分が生かされ、友が殺されたのだ。この痛みを理解する術を私たちは持たない。しかし、それ以上に、彼は私たちに「理解してはいけない」と言っているようだった。このような非人間的なことが「理解できるもの」であってはならないのだと。なのに、彼は今も人々に向けて描き続けている。「理解されない」ことを前提に発信し続ける「生の強さ」に、私は感動が止まらなかった。後日、私たちは農村も訪問した。内戦の爪痕は、農村において最も烈しい。97年までポルポト兵は森に隠れ、地雷は田畑からお寺、遺跡跡など至る所にばらまかれた。「農村の復興」など絵空事でしかなかった。カンボジアの人々が本当に安心して暮らしを立て直し始めたのはわずか10年前からだ。しかし、この10年で人々の表情は明るくなり、貧しいながらも私たちをもてなしてくれるまでになった。いつの時代も、どこでも農民はたくましい。人口の7割が暮らす農村こそカンボジアの底力だ。すべてはそこから始まる。「食べられないなんて言ってられない」。学生達も村の食事をほおばっていたのが微笑ましい(写真2)。さすがに蜘蛛はダメだったみたいだけれど。紛争から復興、都市から農村、あらゆるところでカンボジアの強さに圧倒された1週間だった。
国際社会学科 特任准教授 高橋清貴
担当科目:国際ボランティア論他
研修プログラム その1
2008年09月15日
「ニューヨークのモスクで海外体験学習」つい先日、8月末から9月の始めの約10日間、ニューヨーク市でアメリカ・短期フィールドスタディ(FS)を実施しました。
写真1は、ブルックリンのベイリッジという町にあるアラブ・レストランで撮った写真です。ブルックリンはアメリカ最大のアラブ系人口を抱える地域で、ベイリッジにはアラブ系のイスラム教徒がたくさん住んでいますが、この写真には、恵泉の学生とともに、FSで毎年お世話になっているパレスチナ系アメリカ人のムスファーさんとその娘さんも写っています。実は、イスラム暦のラマダーンに当たるこの時期、世界中のイスラム教徒は、日の出から日没まで飲食を一切絶つという断食の義務を遂行しています。学生たちは、ベイリッジのアラブ系イスラム教徒のモスクで、ムスファーさんからイスラム教やアメリカでのイスラム教徒の生活についてお話を伺ったのですが、日没後、断食が終了すると、モスク内でアラブ料理を一緒にご馳走になり、さらに写真のレストランでアラブのデザートをいただくことになりました。
学生たちは、通常のニューヨーク観光ではなかなか訪れることのできないこうした訪問先で、実体験を通してアメリカ理解を深めてくれたと思います。
写真1:ブルックリンのベイリッジにあるアラブ・レストラン
写真2:マンハッタンにあるコロンビア大学のキャンパス
国際社会学科 専任講師 漆畑智靖
担当:アメリカの政治・外交、短期フィールドスタディ(アメリカ合衆国)など