ピクチャレスクはフランス語に由来し、英語でも同じpicturesqueと綴る。日本語では「絵のような」、あるいは「絵のように美しい」と訳されている。
絵画、風景、庭園などの美を表す言葉であるが、ただ美しいだけではなく、崇高という意味合いが込められている。
イギリスの風景を例にとれば、イングランドの田舎の風景はなだらかな麦畑や牧草地が広がりとても美しいが、この景色はピクチャレスクとは表現されない。
それに対して、スコットランドの最北端のハイランド地方には荒涼とした大地が広がり、見上げれば岩山が聳え立ち、足もとには千尋の谷が落ち込んでいる。
このような、見るものに畏怖の念を起こさせるような景色がピクチャレスクと表現される。
18世紀後半のイギリスではピクチャレスク・ツアが流行し、人びとは競ってスコットランド、湖水地方、ウェールズの山岳地帯から、
遠くはヨーロッパアルプスまでピクチャレスクな風景を求めて出掛けていった。
また、ピクチャレスクは自然風景だけでなく廃墟や古代の建物などの人工物を含む景色にも用いられる。
ヨーク州にあるフォウンテンズ修道院は16世紀に閉鎖され、今では廃墟となっているが、
周りの木々や草原の中にあってピクチャレスクな風景を展開している。
ピクチャレスクな景観は18世紀に発達した風景式庭園にも取り入れられた。風景式庭園はイギリスで生まれた庭園様式で、田園風景を取り込んだ庭園である。
最初にピクチャレスクな景観を風景式庭園に導入したのはウィリアム・ケント(1685-1748)である。彼は若い時期に画家としてイタリアに滞在し、
クロード・ロランやニコラ・プーサンらが描いたイタリアの風景画を学んだ。それらの絵にはイタリアの風景の中に古代ローマの建物や廃墟が描かれ、
ピクチャレスクな情景が展開する。ケントはイギリスに帰ると画家から造園家に転向してロランらが描いたイタリアの情景を庭園の中に作り出していった。
270年前にケントによって作られたロウシャム・パークは現在も原型のまま維持されている。小規模の庭園であるが、林に囲まれた芝生の谷間に神殿、
ビーナス像、アポロ像などが配置されている。その後、新たな作者によってピクチャレスクな庭園が作られていった。
その中で、ロランの絵画を最も忠実に再現した庭園はストアヘッドである。18世紀の中頃に銀行家ヘンリー・ホアII世によって造られた庭園であるが、
樹木に囲まれた池の周りを巡るとパンテオン、アポロの神殿、洞窟、石橋など古代ローマの点景物に出会い、ピクチャレスクな情景を満喫できる。
また、ピクチャレスクに花壇が加わって新たな美しさを生み出しているのがスコットニー・キャッスルである。廃墟が豊かな水を湛えた堀に囲まれ、
水面にはスイレンの花が咲いている。廃墟の入り口には白いつるバラが掛かり、中庭には崩れた石壁を背景に宿根草のボーダー花壇が淡い色合いで咲きそろっている。
ボーダー花壇は20世紀になってから発達したものであるが、18世紀のピクチャレスクとよく合っている。
ピクチャレスクは現在もイギリス庭園で重要な位置を占めているのである。
恵泉ディクショナリー
ピクチャレスク歴史文化学科
[ぴくちゃれすく] picturesque
ピクチャレスクとは
2010年09月30日 筆者: 西村悟郎 筆者プロフィール(教員紹介)
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