恵泉ディクショナリー

新選組日本語日本文化学科

[しんせんぐみ]  Shinsengumi

新選組とは

幕末、京都守護職の配下で治安維持と情報収集を担当した剣客集団。 文久2(1862)年徳川幕府は浪士対策として「尽忠報国」の有志による警備隊の組織を企てた。 応募した浪士や上層農民・町人出身の剣客は「浪士隊」に組織され、将軍家茂の警護のため文久3年2月京都に行った。 京都到着後、尊王攘夷の方針をめぐって分裂し、多くの隊士は江戸に戻ったが、近藤勇・土方歳三・沖田総司らの試衛館グループ、芹沢鴨らの水戸藩尊攘派グループなどは京都に残留して京都守護職の会津藩主松平容保の配下に入り、公武合体と尊王攘夷を旨とする「壬生浪士組」を結成した。 これは同年8月18日の政変後「新選組」(「選」を「撰」と書く場合もある)と改称した。同年9月試衛館グループは芹沢グループを粛清し、近藤勇を頂点とする組織を作った。 新撰組は京都で討幕派の藩士や浪士の取り締まりと市中警護を担当し、池田屋事件や禁門の変で活躍した。 慶応4(明治元年、1868)年1月の鳥羽伏見での幕府軍敗北により江戸に戻った新選組は、「甲陽鎮撫隊」と名を変え、甲州勝沼で新政府軍と戦ったが敗れた。 下総流山で再起を図ったが、近藤は新政府軍に投降し処刑され、隊士は四散した。元隊士の中には奥羽戊辰戦争や函館戦争で新政府軍と戦った者が多い。

明治政府が討幕派によって樹立されたため、新選組は長い間「敵役」とされた。 しかし子母澤寛や司馬遼太郎などの小説や、それに基づくドラマ・映画・アニメ・漫画などを通じて、近年では人気が高い。 ただし歴史研究者が最近まで新選組を研究対象とせず、新選組に関する記録や証言が十分な史料批判なしに史実として語られてきたため、史実と虚構の混在状態が続いている。 2000年代初頭に松浦玲・大石学・宮地正人ら近世史や幕末維新史の研究者が新選組に関する著書や史料集を相次いで発表したが、それらが史実と虚構の混在状態にどのような影響を与えるかは、今後の展開を見なければならない。

恵泉女学園大学がある東京都西部の多摩地域は、新選組の中心人物である近藤勇・土方歳三・井上源三郎らの故郷で、親類や友人・知人が多かった。 また天然理心流をはじめ剣道修行も盛んで、試衛館からの出稽古も行われていた。 恵泉の校地の南側にある小野路では、土方の親戚で近藤と義兄弟の関係を持つ小島鹿之助が寄場名主を勤めていた。 現在小島家が運営する小島資料館には新選組関係史料が所蔵されている。

恵泉の日本史のゼミには毎年新選組に関心がある学生が参加し、3年次のゼミでのレポートでは新選組に関する事柄がしばしば取り上げられる。 史実と虚構の混在により史料批判を行いながら卒業論文を執筆することは容易でないが、地元多摩に残された史料に基づいて新選組メンバーと多摩地域の親類・知人の互恵関係を明らかにした卒業論文の例がある。

(日本語日本文化学科 梅澤ふみ子)

2010年12月27日 筆者: 梅澤ふみ子  筆者プロフィール(教員紹介)

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